子育てのブログ
余命2012/01/06
「余命」っていう映画も昨年ありましたね~
キリスト教の中でも「再臨信徒」を名乗っていると、ついついマンネリ化して「聞きあきました」になりがちな「再臨」「世の終わり」という言葉…
そして、「あなたの人生の残された時間は」とか「世の終わりの日に」という言葉…
私自身は、マンネリ化してしまっては、ついつい自分の都合のよいようにとらえておりました。
昨年の震災のことが引き金になって、オウム真理教の指名手配犯の平田という人が、年末に出頭したそうですね。あの震災を見聞きして「おれなにやってるんだろう」って思ったんですってね。
これ、きっと自分の余命を考えたんじゃないかな。
この嘘の人生っていったいなにって。
私にとっても同じで、あの震災後、ずっとこのことを考えてる。
私の、余命は、あといくらなんですか。
よく、教会で紹介される詩に「もしも明日、世界が滅びるとしても、私はりんごの木を植える」というのがあって、教課研究で紹介されると、一斉にうんうん、そうですね、キリストにあって、静かに明日を迎え、日常を行い、未来への希望を続け…となります。
いろんな人がいると思うんです。
りんごを植えたかったり、誰かとおしゃべりしたかったり、散歩がしたかったり、とか。
私は、りんごは植えずに、ミシンがけをしたいんですね。
不謹慎と言ってはほしくないのだけど、
震災で亡くなられた若いお母さんたちの写真をいっぱい見たんですよね。
また、アメリカの報道機関が撮影し公開した、たくさんの亡くなられた方々の御遺体写真や、火葬の現場、小さな子供たちの遺体、そういうものも見た。
賛否両論あるんだけど、私は、私自身は見るべきだと思ったんですよね。
これは、あくまで「私はこう思いました」ということだから、反対にそれはしないよ~という人がいてもいいですしね。
(ただ、ここの部分だけをとらえて反論したい場合は、自分サイトからの発信にしてね。)
3月だったでしょう、新一年生はランドセル買っていたんだよね。
幼稚園に行く予定だったちびこは、かわいい布袋用意していたんだよね。
ママも子供もランドセルも布袋もみんな津波にのまれていった。
ものすごい衝撃なんですよ、今も。
買い物していたり、ここちゃんが寝ぐず言ったりして、そのたびに思うんですね、この子ともう明日の朝、会えないかも...













