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東南海地震が怖い・・・

2007.1.18 00:09    0 10

質問者: 大阪人さん(秘密)

日付が変わってしまいましたが、
阪神淡路大震災から12年経ちました。
私は、兵庫に近い大阪でこの地震を体験しました。
大阪でさえ、それは、もう、筆舌に尽くしがたい壮絶なものでした。
本当に家が壊れるかと思うほどの揺れ、家の前の道路、家の壁は亀裂が走り、お風呂のタイルは全て崩れ落ちました。
今でも思い出すとドキドキします。


今後50年以内に東南海地震が起きると言われていて、本当に怖いのです。
私の妹は今、愛知県の海沿いに住んでいて、もし地震が起きたら、津波が・・・と考えるだけで、涙がでてくるほどです。私自身も、生き残れるかわかりませんけど・・・。


それを今日、夫と話していて、私が「怖い」「もし、昼間、離れ離れになってるときに被災したら、どうやって会えばいいんだろう」などと言っていたら、
夫は、
「歴史上での100年なんでアッという間やからな、アバウトなもんや。生きてる間に起こるとも限らへん。心配してもどうしようもない。」
と、ビックリするほどドライに言い放ちました。
確かに、いつ起こるかわからないものを恐れてビクビクしていても何も始まらないのはわかっているのですが、何とも悲しくなりました。
理由はわからないのですが・・・。
ウジウジと言った私が多分悪いんでしょうけど。。。
この前の北海道の地震津波も、怖かったです。大阪の私には影響はないとわかっているのに。


私の気持ち、わかってくれないんだなーと・・・。
何が言いたいのか自分でもよくわからないのですが、涙が出てきて仕方がないので、投稿しました。
長文失礼しました。

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回答一覧


大阪人さんの気持ちよーく判ります。
私は現在、関東在住の大阪人で12年前の阪神大震災経験者です。
今でも地震が来るたびに、あの震災の時に受けた恐怖心がよみがえり、心臓がバクバクとします。
私の場合はあの震災の時に聞こえた「地鳴り」の音が、今も脳裏に焼きついています。12年経っても記憶にはしっかりと残っているんです。
幸い私の住んでいた地域は被害は神戸に比べるとまだまだ小さかったのですが‥。
ご相談についてですが、私もご主人の考え方に同感です。
大阪人さんの気持ちもすごくよく判りますが、この地震列島と云われる日本に住んでいる以上、いつどこで地震が起こっても不思議ではないんです。
近い将来起こると予想されている地震に備え、自分には何ができるのか?
どういう準備をしていれば役立つのか
生き残れるのかを考える方がいいのではないでしょうか?
震災経験者だからこそ得られた知識や教訓もきっと、おありだと思います。ご主人以上にドライな考え方に思われるかもしれませんが、あまり神経質にならず、せっかく持っている貴重な体験を生かした方が良いと思います。

2007.1.18 11:35 9

りこ(秘密)


同じく私も一番怖いのは地震です。
いくら備えていても突然の揺れには頭真っ白、足もすくんでしまいます。

私の住まいも海・川の近くなので、太平洋側の大地震が起きたら津波はここまで来るか、もしくは液状化かもしれません。
なんでそんな危険な場所にすんでしまうのでしょう?そこに夫の仕事があったからです。
 おかげで防災には関心が高く、備蓄も非難袋も備え、地震予知にも興味を持ち毎日天気予報みたいに地震予知サイトをチェックしてますが
もし運よく大地震を免れたとしても出先で放射能被爆や交通事故に合うかもしれず結局、運や精神力だろうと思いますが
 いざ大地震という場合、車を捨てて歩いて子供を迎えに行くつもりなので
常に歩きやすい靴をはいているし、子供と一緒の時は自分が守る意識で動きやすい服装をします。

 日本は世界中の活火山の10%セントが集中している火山国だそうです。
だから地震も多いかわりに、
火山のおかげで温泉や美しい山・湖などが作られていて、綺麗な川や飲み水にも恵まれています。
4つのプレートがせめぎあう場所が日本です。
地球が活動している以上毎日日本は揺れているし、定期的に大地震が起きてしまいます。
だから日本に住む以上、スイッチ一つで何でもできる文明的な生活に安心してしまわず
常に備え、いざという場合危険回避する知恵・危険意識を持つ事が大事だと私は思ってます。
悲観的にならないでせっかくの人生、精一杯前向きに生きましょう。

2007.1.18 11:00 11

ぐりこ(秘密)


分かります、地震への恐怖心。
私は中越地震を経験しました。
まだ高校生だった頃、東京への憧れから、大学は絶対東京に行きたいと思っていたのですが、根拠もない噂?からか(今となっては噂があったのか、自分で勝手に思ったのかすら覚えていませんが…)、友達に「地震が怖くて東京行きを迷っている」と冗談半分ですが言ったら大笑いされた覚えがあります。
結局上京し、就職で地元に戻ってきました。
その数年後、あの中越地震に遭遇したんです。
落ち着いた頃に高校生の時に考えた事を思い出し、あの時あんな事考えたけれど、結局戻って来た地元でこれっぽっちも予想しなかった地震だなんて…と人生いつどこで何が起きるか分からないと思いました。
ちなみにあの中越地震の2日前、何気にベッド横の棚の上にあったスピーカーを、地震が来たら頭に落ちてくる可能性があるな、なんて思ったんです。
それまでずっとそこにあり一度もそんな事考えた事がなかったのに。
幸い地震が起きたのは夕方だったし逆方向に落ちていたのでよかったですが。
頭の片隅では2008/9/13は絶対に関東方面には行かないと思っています。。。(中国か東海地震だと言う話ですよね?)

2007.1.18 09:50 11

恐怖症(29歳)


火事などと違って、地震は、人の力では、どうしようもありませんし、予防策もないし、「いつか来るよ」と言われても10年先か、明日なのか・・・。


最近は、全然来ると言われていない地域にばかり、地震がきている気がしますね。


本当に、どうしようもないな〜、と思います。
だから、ご主人の気持ち、分かります。


もし、被災して、離れ離れになっていても、生きてさえいれば、絶対に会えます。
懐中電灯や非常食の用意が無くても、それが原因で死ぬ事は、ありません。


地震が来た瞬間に、命が少しでも助かるように、家具を固定する・寝具の周りに家具を置かないなど、具体的な策を実行するしか出来ないでしょう。


後は、ビクビクしないで、平常心を保つ訓練をしておいた方が、いざと言う時に、冷静に判断が出来て、生存率が上がる気がします。


結構、そういう胆の据わったご主人の方が、頼りになるかもしれませんね。
一緒にビクビクされても、困ってしまいませんか?

2007.1.18 17:59 8

黒米(34歳)


神戸市東灘区出身です。
阪神淡路大震災を経験し、あの地震で父を亡くしました。
あの日、暗闇のなか目が覚め、メチャクチャになった家から抜け出すと、家の前に建っていたアパートが崩れて無くなっていました。その衝撃はいまでも忘れられません。明るくなって周りの状況がハッキリするにつれ見えてきたものは倒壊してグチャグチャになった街。初めて見る風景に、恐怖で震え涙が止まりませんでした。
あの日私が見たものは・・・
6時間全壊の家屋の下に閉じ込められていた祖父と姉。
そしてその1時間後、遺体で発見された父。
弟が崩れた家の中にいると、泣き崩れていた友人とその両親。(弟さんは翌日、遺体で発見)
崩れた屋根をピアノが支えそのおかげで急死に一生を得た友人・・・等。
本当に、いろいろなことがありました。
こういうことは経験しないと分からないことだと思います。
大阪人さんのご主人の考え方もある意味当たり前かな、なんて思います。

ちょっと余談なんですが、専門家達は首都圏に阪神クラスの地震が起きれば(冬の午後6時という設定)死者は1万人強などと言っていますがよく考えてみて下さい。
神戸の場合、朝5:46という早い時間だったにも関わらず死者6千人以上でした。。神戸でさえ、もしあの日「午後」6:45だったら1万人なんて軽く超えていたと思います。中心部(三宮)のビルもほとんど倒壊し、ほとんどの駅が壊れ、学校なんかも崩れてましたからね。首都圏で、1万人とは甘く考えすぎではないでしょうか?
日本は地震大国なのに、どこか他人事な雰囲気があります。
東京で震度5の地震が起きたときのあの混乱ぶり!呆れてしまいます・・・。

2007.1.18 19:23 10

YUKI(24歳)


YUKIさん
 
>東京で震度5の地震が起きたときのあの混乱ぶり!呆れてしまいます・・・。
 
いくら大震災を経験しているからといっても、その発言は、首都圏に住んでいる人に対して失礼ですよ。
同じ曜日の同じ時間帯に大阪で同規模の地震が起きても、いつもと変わりません!とでも言えるのですか?
電車は数分で復帰し、電話も問題なくつながり、エレベーターも動き、いつもと同じですというわけにはいかないと思います。
 
それに、混乱と言っても地震に対しては皆冷静でした。あの程度でしたら慣れていますから。JRが長時間止まったことで他の交通機関に人が集中し、混雑した、迂回ルートで時間がかかった、珍しくバスが混雑した、タクシーが拾えなかったという程度でしたよ。
あなたの言い方だと人々が慌てふためいてパニックになったというように読めますが、バカにしすぎです。

2007.1.19 16:42 4

エリ(秘密)


確かに最後の2行が残念ですね。
筆舌し難い経験をされて人間的に成長される方と、そうではない方がいるということなんですね…。
私も最後の2行は疑問です。
お人柄にがっかりしました。

2007.1.19 19:29 4

確かに…(秘密)


スレ主です。
お返事ありがとうございます。
そうですね・・・
クヨクヨせずに、何ができるか考えないといけませんね。
私は、守ってもらうことしか考えていなかったのかもしれません。
阪神淡路大震災のときは高校生でしたが、今は違いますものね。
小さな地震でも、あの揺れを思い出してしまって動けなくなってしまう情けない自分が本当にいやです。
でも、もっと前向きに考えられるよう頑張ります。


最後に・・
YUKIさんは、悪気があって書いたのではないのでは・・・と思いました。
震度5の揺れが本当に恐ろしいものだということ、私はよくわかります。(私が体験したのは震度5〜6でした)
でも、もっと大きな地震が起きるといわれているのに、震度5で交通機関がクラッシュしてあれだけ混乱するのかと思ったら、怖いな、と思われたのかな、と思いました。
また何を言っているのか、自分でもよくわからなくなってきました・・・。

2007.1.19 22:40 3

大阪人(秘密)


主さんが、悪気があって書いたのではないのでは…と思われているのなら、もうどうでもいい問題ですが、私はハッキリとした悪意を感じましたよ。
どんなにつらい体験をされたとしても、それ未満の体験に対して呆れてしまうと言い放つことは、人としてどうなの!?と思います。
つらい体験を通して人の心の痛みを思いやる成長がなかったとしたら、そのことのほうが「呆れてしまいます…。」
つらい体験というのは皆口に出さない(出せない)だけで、最愛の家族の血で手を染めながら今際の際をどうすることも出来なかった体験は私もしましたが、それ未満の体験を呆れるとは思いませんよ。

2007.1.20 13:54 3

確かに…(秘密)


これが最後です。3度目お許し下さい。
今回、私にとって1番ショックだったことは、九死に一生を得る体験をしても思いやりが育たない人がいるという事実でした。
では、いったいどういう体験や教育をしたら思いやりのある優しい人が育つのか?という限界を感じました。
常日頃、いじめ・差別・浮気(くだらない風俗関係含め)がどうしたらなくなるか、せめて減らせるかと思っていたのですが…。
人格というのは生まれつきで、体験・教育では育めないのだろうか?という壁に突き当たりました。悲しい虚無感にうなだれます。それでも優しい人が1人でも増える事を願いますが…。

2007.1.21 09:55 3

確かに…(秘密)

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