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親になる覚悟とはどのようなものでしょうか

2009.2.10 11:02    1 20

質問者: メソさん(28歳)

14週の検診でNT(後頸部浮腫)12ミリと診断され、羊水検査を進められました。 その後15週の検診で、嚢胞性ヒグローマ(胎児水腫)と診断され、胎内で死亡する可能性が高いことから人工死産を選択しました。 今回のことで、障碍がある子供を出産するということを、(当然のことなのですが)自分にも起こり得ることとして実感しました。 親になるには「覚悟」を持って妊娠すべきだと思ったのですが、具体的にどのような覚悟を持てれば親になる資格があると言えるのでしょうか? 皆さんはどんな覚悟で親になった、あるいは親になると決意したのでしょうか? いろいろな考え方を知りたいので、皆さんの覚悟を教えてください。 今の自分は、親になる覚悟はできていないと感じています。

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回答一覧

私はある程度の覚悟は必要かと思います。 他のサイトですが、やっぱり生まなきゃ良かった、可愛いと思えないという人をたくさん見たことがあります。 子が健常者でもです。 生んでしまったら後戻りはできませんので、ある程度の覚悟は必要ではないでしょうか?

2009.2.11 09:35 42

みみ(26歳)

子供に障害があるない関係なく覚悟は必要でしょう。 健常児であっても、子の安全を守り、食事を与え、躾をし、教育し、心身ともに成長させてこの世に送り出す義務がありますから。 これは、それまでの親の生活を犠牲にする(というと語弊があるかもしれませんが)ことで成り立つものなのに、それを認識していない親が最近増えているように思います。 パチンコをやめられなくて家や車の中に子供を置き去りにして命の危険に晒したり、夜遊びが忘れられなくて深夜まで小さい子を連れまわしたり。 「親になる覚悟なんて別になかった」と言い切る人もいますが、妊娠出産する前に少しは考えてほしいものです。 子供はペットじゃないのですから。 (いえ、ペットでも育てる覚悟は必要ですが・・)

2009.2.11 08:10 45

匿名(秘密)

性格なので心配はしましたが、覚悟なんかして妊娠していないし、産んでいません。親になる覚悟ではなく親になった覚悟ではないでしょうか?私も下の子の時に羊水検査を勧められるほどのNTがありました。その時、夫婦で気が狂うほど悩み苦しみ、異常が認められたら子供は諦めること前提で羊水検査を受けました。非難されても仕方ない、明らかに命の選別です。それでも事前に障碍があると解って産み育てる覚悟は私たち夫婦にはできませんでした。最大の理由は既にこの世に生まれ、元気に育っている上の子への将来の負担…親は必ず子供より先に逝くのですから。これは出産前に疑いがあったが故の私たちの考えです。知らずに産んでいたら、事実を受け入れるまで相当時間がかかりますが、納得できたら親なので必死で育てていたと思います。多くの人はそんなものではないでしょうか?理想で物を言うのは簡単です。実際直面してみないと予想すらつかないものではないですか?

2009.2.10 17:22 39

こな(35歳)

何もかも覚悟して子作りはしてなかったです。 そろそろ欲しいよねって言ってから数ヶ月後に妊娠しましたが、妊娠が分かってからお腹にいる約10ヶ月の間に徐々に母としての覚悟・自覚が出てきたと思います。 上の子は4歳になりますが、生まれてから今でも日々母として勉強の毎日です。 妊娠前に完璧に何もかも(障害や病気まで)覚悟した上で子作りする人は少ないんじゃないかなと思います。 もちろん避妊しないという事は、少なからず子供を生み育てる責任と覚悟はいると思いますが。 初めは未熟で当然です。 親になる為の『資格』は誰しも持ってると思います。(虐待したりパチンコ屋の駐車場に置きっぱなしにしたりと人として最低な事をする人以外) そして子供と一緒に母として父として少しずつ成長していければそれでいいのではないでしょうか。

2009.2.10 17:29 44

らいあか(27歳)

冷静に書いておられますが、お辛かったでしょうね・・・ 私の弟は、身体に障碍があって産まれました。 今は完治している、軽いものでしたが、 母は自分を責め、苦しみは大変なものでした。 弟が結婚し、子供が産まれる時も、遺伝など考え、 心配で心配で仕方なかったみたいです。 多分、私の出産の時も・・・ 外から見える障碍だったので、人からの偏見もありました。 だから障碍のある子を産むことを他人事だと思わない、 障碍のある人を特別視しないというような、 人として最低限の心得は持っていたつもりです。 でも実際産まれてみないと、本当の意味での覚悟は 出来ないように思います。 産まれてからでも、何が起こるか分からないです。 親になりたいと、願ったその時から、老いて死ぬまで、 子の幸せを願い心配する気持ちはずーっと続くと思います。 その気持ちが親としての覚悟でしょうか。

2009.2.10 13:49 45

のんのん(34歳)

二度目になりますが… 私はたとえうまれでた子がコミュニケーションとれない状態であっても、 絶対にその子を愛せると思います。 この世に生を受けた、それだけでその子には生きる資格があるんです。 この世からの愛情を受ける資格があるんです。 見えなくても話せなくても、 絶対に聞こえてきますよ、その子が母からの愛を求めて呼ぶ思いが。 こっちを見て、私に触れて、お母さん、って。 私には絶対聞き取る自信があります。 そう思って、子どもをもうけました。 …おかしいでしょうか? 昨年妊娠した時も羊水検査は受けていません。 いくらこの世の中が障害者に生き辛い世の中と言っても、 それはただの自分の主観。 もっと言えば健常者のおごり。 私はそうは思いません。 それこそ生きているだけでまるもうけなのであって、 障害者と言われている人たちだって十分に生を実感していると思います。 障碍は個性です。 決してハンディキャップではないんです。 そういう考えは、差別につながる危険なものですし、 羊水検査ももちろん認められているものですが、 私は優生主義(調べてくださいね)につながるものであると思います。 実際に私の初めての子は、生まれてから先天性心奇形があると診断されました。 健常ではないけれど、私は手を握っているだけでも 十分に気持ちをかよわせられていると思っています。 これだけ強く意思を持つのも、全て自分が子供の立場だったらどうなのか、 ただそれだけです。 自分の親にはも例え私が大変な病気でも、泣いて欲しくない、揺るがないでほしい、 こっちをちゃんと見てほしい、そう思うだろうな、 ってただそれだけなんです。 長くなりましたしうまく言えた自身はありませんが 上述したような気持、これはメソさんの言う「覚悟」と近いですか? ピントがずれていたら申し訳ありません。

2009.2.12 22:08 21

piano(37歳)

トピ主です。 回答いただいた皆さん、ありがとうございます。 1/14のスレも拝見しました。 頭で考えても、「可能性」の枠を出ない以上、本当の意味での覚悟は出来ないですよね。 そして、少しずつ親として成長していくものである、という意見にも賛同できます。 ただ、今回のことで羊水検査や胎児ドックを知ってしまったことで、親としての覚悟について考えるようになりました。 出生前診断についていろいろと調べていたとき、 親としての覚悟がないのに妊娠するべきではない、というような意見をよく目にしたからです。 妊娠がわかってから、出生前診断を受けるかどうか決めるまでの期間は短いです。 出生前診断で異常が指摘されたら、考えていられる時間はもっと短いです。 親としての成長を待つ時間としても、障碍を受け入れるための時間としても、十分ではないと思います。 またNTが指摘されたらどういう行動をしようか。 出生前診断でわかる情報を得るべきなのか、知らずに産むべきなのか。 障碍を持った子供を産むということを現実として考えるようになった今、妊娠前に覚悟を持つべきであると考えるようになりました。 でもその「覚悟」って、どのようなものなのか。 皆さんはどう考えているのか。 知りたくなったのです。 (出生前診断でわかる障碍は一部のものでしかないことは承知しています。) 引き続きよろしくお願いします。

2009.2.11 09:18 18

メソ(28歳)

妊娠する前はそんなこと考えることなんてありませんでしたよ。妊娠したときは嬉しさでいっぱい。一生懸命、育てて行こうとは思いましたが、障害のある我が子は思いもせず、幸せな家族しか想像してなかったです。出産が近づくにつれてもし・・・だったら?と不安になりましたが、もう後戻りは出来ないって感じです。覚悟してから妊娠、なんて少数派じゃないですかね?!

2009.2.10 16:04 29

ママぽん(30歳)

大変な思いをされたこと、お察しします。 親になる覚悟。。。って必要でしょうか? どんなに覚悟してみても、所詮自分が想像できる範囲の覚悟でしかありません。 子育てにも、自分の人生にも多分、想像を超える出来事は起きる可能性はあります。 大変な事に直面した時に初めて、真剣に向き合う必要がでてくることだし、経験しないと本当にわからないことっていっぱいあると思います。 大事なのは、自分にとって予想外の出来事が起きたとき、それでも立ち止まるなり、一歩一歩進んでみるなり、誰かに助けを求めるなり、なんとか生きて行くことだと思うんです。 トピ主さんは今、ひとつの出来事を大切に乗り越えようとされている、それで何よりも十分じゃないですか?お体、大切になさってください。

2009.2.10 17:47 27

みく(31歳)

可能性は誰にでもあるとは頭でわかっていても、実際そうなってみないと自分がどうなるのかわかりません。 頭で考えても、結論の出ない事かもしれません。 その時になって、苦しんで苦しんで、時間をかけて受け入れていく事しか出来ないのかも知れません。 2009年1月14日の「子供をもつ覚悟」というスレを見てみてください。 奇麗事抜きの多くの方の意見が見られると思います。 今回の事、辛かったですね。 お体大切になさってください。

2009.2.10 16:57 24

毛布(秘密)

スレ主さんが言われている「覚悟」、と覚悟は必要だってレスされている方の「覚悟」に大きな隔たりがあるように感じるのは私だけでしょうか? 子どもを産んだらどんなことがあっても責任を持って育てる、なんて親としてあたりまえのことで、それに覚悟って言葉を使うのはおこがましいと思うんです。覚悟なんてなかった、ってレスされている人も同じじゃないでしょうか。 でも、スレ主さんが言われている親になる覚悟ってあまりにも重くて次元が違うものだと思います。障碍があっても家族や周りの人が世話をしてちゃんと生きていける人は大勢いるし、自分も身近に知っている人はいます。でも、私が想像できて育てていく覚悟ができるのはその程度です。常に命が危険にさらされているような重度の障碍と向き合う覚悟は私にはできないし、そんなことを考えたら子どもなんて産めません。ただ、実際にそういう事に直面した時には一緒に苦しんで悩んでくれると信じている夫がいるから、覚悟がなくても不安な気持ちはないです。

2009.2.12 13:21 31

うーん(秘密)

横ですがたまごさん立派です。 素晴らしいお母さんですね。 うちは生まれた子の足に少し異常が見られて歩けるか 分からなかったです。 出産してから気付きました。 でも可愛いですよ。

2009.2.10 13:35 26

あいら(秘密)

子供にどんな障碍があったとしても、または産まれてから障碍者になったとしても、夫婦力を合わせて協力し、子供を精一杯愛し、頑張って子育てしていこう・・・という覚悟はしてから妊娠・出産しました。 私もまだ生後3ヶ月の双子ママで、新米なのであまり偉そうな事は言えませんけど、子供達に何があったとしても誰よりも愛し、全力で守っていく自信はあります。

2009.2.10 12:15 89

たまご(23歳)

スレ主さん、ごめんなさい横になります。 >例えば↑この考え方こそ、健康で健常な人間の奢りだと思います。生きているだけでまるもうけというのは、健康で苦痛のない人間だけに当てはまるものですよ。私たちと同じ人間で、毎日苦痛な生を耐え過ごしているような悲惨な方も現実にいますが、そういう存在を頑として認めないのも残酷だ、と思わざるを得ません。 やはりうまく伝わっていなかったようです。 私は以前そういう方たちの施設で働いていました。 実際にその辛さ、目の当たりにしてきました。 そのような現実、認めていないわけではありません。 家族でなくとも本人でなくとも、神を恨みたくなるほど途方もなく辛く耐えがたい思いをすることだって多々あります。 >また、健常者の↑こういう思い込みこそ怖いと思います。自分と違う立場の人間に対する想像力があまりにもないですし、どこか違うんじゃないか、とか、もしかしたら苦しくないか、という可能性を最初から切り捨てるのは思いやりが全く感じられないですし、何だか親自身の気持ちを守るために信じ込んでいるように見えます。 働いているとき、嫌というほど相手の事を考えてきました。 辛いんじゃないか?痛くないか?何が伝えたいのか? トイレに行きたい?喉乾いた? 伝える手段がない相手に、想像力を駆使して全身全霊かけて理解しようと思いました。そしてどんなことしたら「快」の瞬間を感じてもらえるか、生きてきたこの世の中で一瞬でも「きもちいい」と思える瞬間を持ってもらいたかった。 最初は私も辛いことが多く、ご家族にもうっかり涙を見せそうになったこともありました。 でも、苦しみも悲しみも辛さもあるけど、 生まれてきて良かった って、この世の誰一人も信じてくれなかったら、 それが一番つらいんじゃないのかな?って気がつきました。 誰でもいいから、一人でいいから あなたがいてくれてよかった。 ってその生を丸ごと受け止めて信じてあげる存在は必要だと思いました。 でもそれは無理しているわけでもなく、意固地になっているわけでもないんですよ。 毎日一緒にいると、どうしようもなく、愛おしくてしょうがなくなるんですよ。 これは実感です。理屈ではないんです。 ちなみにハーブさんの文章も、本当に障碍がある方が目にしたら悲しむんじゃないのかな。 人格否定されているみたいで。 と、思いっきり脱線してしまいました。 本当にスレ主さんごめんなさいね。 今回もうまく伝えられた自身はありません。 本当に「覚悟」っていろんな考え方があるんですね。 私も勉強になりました。 今答えが出なくても、子どもが教えてくれるかもしれません。皆さんの意見も現段階のものであって、 どんどん姿かたちを変えていくと思います。 心と身体が癒えたころ、また前を向く気持ちになるかもしれませんよ。 まずはゆっくり休まれてくださいね。

2009.2.13 21:52 31

piano(37歳)

堅苦しく考える必要ないのでは? 子供を産んだらみんな親なんですから。 資格なんて必要ないんですよ。 ただ、与えられた現実に向き合うしかないんですから。 親として覚悟しているなんて、親になるまえからありえません。親になったことがない人に本当の覚悟はできません。ただ、そうして自分を叱咤激励しているだけです。 私の子は健康健常で今育児真っ只中です。もし、妊娠して羊水検査などでお腹の子に異常があることが確定すれば、主人も私も躊躇なく中絶を選びます。これは今ふたり目妊娠で夫婦で話し合った結論です。 赤ちゃんを産んで育ててみるまで、命は無条件に守らなければいけないと思っていましたが、世の中の不条理を考えると、送り出さない方がみんなのため、ということもあるんだと思うようになりました。生まれ出たために悲惨な目に遭っている命もいっぱいあるのです。その可能性が大きいなら送り返してやることも親の愛情だと思います。 また、生まれて初めて障害がわかったとすれば、受け入れるのに何年もかかると思います。障碍の箇所にもよりますが、身体の障害は受け入れられても、植物人間状態なら受け入れる自信はありません(実際受け入れられない親御さんは多いようです)。もちろん今の子以上に愛する自信はありません。 子供を育てていると、子供の成長やコミュニケーションの実現などが愛情の基礎となるんだということを日々実感するからです。それらが全くないのに、ただただ愛することができる人間が、果たしてこの世にいるのかしら、と思うくらい、私には考えられません。

2009.2.12 19:01 26

平凡ママ(秘密)

>この世からの愛情を受ける資格があるんです。 >見えなくても話せなくても、 >絶対に聞こえてきますよ、その子が母からの愛を求めて>呼ぶ思いが。 >こっちを見て、私に触れて、お母さん、って。 >私には絶対聞き取る自信があります。 >そう思って、子どもをもうけました。 >…おかしいでしょうか? おかしいなんてことはないですよ。 pianoさんの人生であり、お子さんなので、あなたの好きなようにする自由がありますもの。でも、他人にも自分の価値観を「おかしくない」と言ってもらわなければ育てられないのなら、自信を持つべきだと思います。これには正解はないんですから。 私は、あなたとは違う価値観です。 >いくらこの世の中が障害者に生き辛い世の中と言っても、それはただの自分の主観。 >もっと言えば健常者のおごり。 例えば↑この考え方こそ、健康で健常な人間の奢りだと思います。生きているだけでまるもうけというのは、健康で苦痛のない人間だけに当てはまるものですよ。私たちと同じ人間で、毎日苦痛な生を耐え過ごしているような悲惨な方も現実にいますが、そういう存在を頑として認めないのも残酷だ、と思わざるを得ません。 >障害者と言われている人たちだって十分に生を実感していると思います。 また、健常者の↑こういう思い込みこそ怖いと思います。自分と違う立場の人間に対する想像力があまりにもないですし、どこか違うんじゃないか、とか、もしかしたら苦しくないか、という可能性を最初から切り捨てるのは思いやりが全く感じられないですし、何だか親自身の気持ちを守るために信じ込んでいるように見えます。 ・・・というように、同じように我が子を思う母親でも、全然価値観が対極なのです。でも、他人の子がどういう目に遭うとお互い関係のない(関係できない)ことなので、それぞれの親が我が子をその親なりに思うしかないのが現実でもあります。お互いに、それぞれの考えで頑張りましょうね。 スレ主さんも、スレ主さんなりでいいんですよ。どんなに考えても本当の正解はないんですから。

2009.2.13 10:46 27

ハープ(秘密)

私は2人目妊娠の時染色体異常の確立が高いと言われて羊水検査をしました。その時まではそのような事を考えた事もなかったし何よりなぜ私たちに?とばかり考えてしまいました。結果次第では人口死産という選択を私達は選びました。とても悩みました。 どんな障害を持った子供であろうと育てていくと言う自信は私達にはありませんでした。上の子の将来や私たちが若くない事や頼れる身内も近くに居ません。 でも自分達の出した結果が決して後ろめたいとは思いません。私は育児をしていく中で親というものを理解出来ていく様に思います。子供たちに教えられているようなそんな感じです。

2009.2.11 06:03 30

はる(31歳)

覚悟は必要だと思います。 覚悟というより、一つの命を責任もって育てる・守るという責任ですね。 私はまだ20歳代のころはそんな重大なこと私にはできないと思い、子どもは考えていませんでした。 でもその後結婚し、子どもが欲しいとなったとき、 妹の子供に障碍があったこともあり、真剣に考えましたよ。 障碍のみに限らず、私たち夫婦が意志をもって、 言いかえれば自分たちの欲望で新しい人格のある人間を授かるのですから、 その子を絶対に不幸にしてはいけない、と思いましたね。 今現在想像できること以外の大変なことが将来起こりうるかもしれない、それでも精一杯子供を愛したい、 そう思えて初めて子供をもうけました。 それが新しい命に対しての責任だと私は思います。 後悔するようなら子供をもうけなければよいだけなんですから。

2009.2.12 10:14 27

piano(37歳)

私自身が障害者です。 障害は個性、ハンディキャップではない、というご意見はとても嬉しいですが、それは生活がそれなりに成り立っている状態までの方にしか言えないかも知れません。 現実はとても厳しいです。 この世の中は、当然健常者を基準にして作られています。 主観、と言う物ではなく、事実としてそうなっています。 その中で、障害をハンディキャップとして扱う事は決して悪い事ではないと思います。 差別ではなく、配慮でもあるからです。 弱い立場の人を、不自由がある人を助けてあげましょうという優しさでもあるからです。 それは本当に有り難い物で、私も多くの人に助けられていますし、それが無いと生きていけない人もいます。 ハープさんのご意見、 >私たちと同じ人間で、毎日苦痛な生を耐え過ごしているような悲惨な方も現実にいますが、そういう存在を頑として認めないのも残酷だ、と思わざるを得ません。 本当にその通りだと思います。     自分の子が障害を持って生まれたら。 躊躇するのは当然です。 重度の障害で、一人では何も出来ない状態だったら。 勿論人生は一変します。 思い描いていた何もかもを諦めなければならない事もあります。 生まれた子は苦しむだけの短い人生で終わる事もあります。 それを見ているのはどんなに辛い事か。 苦痛を知らない内に眠らせてあげたい。 苦痛を味わう事をわかっていて生む事は酷な事ではないか。 それも親心です。 自分が死んだ後はどうなるのか? 誰がこの子の面倒を見てくれるのか?ただ「生かす」だけでなく、愛情や楽しみを与えてくれる人はいるのか? そんな事も考えますよね。 それを悲観して、介護に疲れ果て、子供を連れて生きる事をやめてしまう方も事実いらっしゃいます。 羊水検査等で、諦めるという結論を出しても、誰も責められるものではありません。   正解、無いです。 他人の価値観にならうのではなく、ご自身の心に従うしか無いと思います。

2009.2.13 22:40 28

ミツバ(秘密)

スレ主です。 ご回答ありがとうございます。 うーんさんに推測していただいた「覚悟」が自分の意図していたものです。 解りにくくてすみません。 推測して答えていただいた皆様、ありがとうございます。 ハープさんのおっしゃるとおり どんなに考えても本当の正解はないことだと思います。 皆がそれぞれ考えて、いろいろな考えを持っていると思います。それぞれの考えが、すべて正解なんだと思っています。 ただ、「どう考えてる?」と簡単に聞ける内容ではないので、ここで質問させていただきました。 自分の考え方を教えていただいた皆様、ありがとうございました。

2009.2.16 09:21 33

メソ(28歳)

1915

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