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“精子”が原因の不妊とわかった、その時夫は?

コラム 不妊治療

“精子”が原因の不妊とわかった、その時夫は?

2017夏 P8-9

2017.5.23

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「僕のせいだから」と舅姑に言ってくれた夫に感謝! こんなに正直で、思いやりのある夫だからこそ、「この人の子どもが欲しい!」と、より強く思いました。




 


「愛する人の子どもを産みたい!」のは、当然の心理。でも、愛する人が傍にいてくれる、それだけで十分。子どもがいなくたって大丈夫! でも、授かったラッキー! 35歳で妊娠を諦めた夫婦に訪れた幸運の物語です。


赤ちゃんを授からない、思い当たらない不妊原因


マヤさん(36歳)は岡山県のご出身、2歳年上のご主人は兵庫県出身。お二人の出会いは11年前の東京、青年海外協力隊の試験会場でした。「感じのいい人だな、と僕のほうから声をかけました」とご主人。マヤさんも「見かけはクールなのに、話をしたら楽しい人で」と、そこからお付き合いが始まったとのこと。残念ながらマヤさんは試験に通りませんでしたが、ご主人は1年後にトンガ王国への派遣が決定。なんと、出発3日前に入籍されたのだそう。赴任中の2年間は、マヤさんもトンガと岡山を行ったり来たりと、慌ただしい新婚生活のスタートでした。
 帰国後、ご主人は東京で再就職。8年前に新居を構えてから漠然と「そろそろ赤ちゃんが欲しいな」と、マヤさんは思い始めました。この時点でマヤさんは28歳でしたが、30歳を過ぎても妊娠の兆候はありませんでした。

「漢方薬を服用したり、体を温める工夫をしたり、ネットなどの情報を頼りに、自分でできることは何でもやってみたのですが、それでも授かることはなく、33歳になって不妊治療専門のクリニックを訪れました」とマヤさん。

栄養士の資格をもつマヤさんは日頃の食事内容には自信があり、生理痛が重かったことから学生時代から婦人科にも通っていました。婦人科では特にトラブルを指摘されたことはなく、不妊の原因は思い当たらなかったのです。

 



不妊の原因は“僕”とかばった夫に惚れ直し


受診した永井マザーズホスピタルでも、原因はわかりませんでした。「ご主人も検査されては?」と促されて調べたところ、精子の量、運動量も思わしくないと判明。

「僕のほうに大きな理由があるのではないか、ということでした。脚の付け根に静脈瘤が見つかり、それが原因ではないかということですぐに帝京大学病院を紹介していただき、手術を受けました。それでも改善されず、このままでは自然妊娠は難しいだろうということで、顕微授精に切り替えました」と、ご主人。

「夫もつらかったことと思います。それでも、忙しい仕事の合間を縫って真面目に不妊治療に取り組んでくれて、とてもありがたく思いました。夫は長男ということもあり、なかなか孫ができないことを心配してくれていたお義母さん、お義父さんに、“マヤのせいじゃないんだ”と夫のほうから説明してくれて、私をかばってもくれた。惚れ直した瞬間でしたね(笑)。こんなに優しい人の子どもならきっといい子に違いない、この人の子どもを産みたいと、よりいっそう、子どもが欲しい気持ちが強くなりました」と、マヤさんは振り返ります。

マヤさんは、クリニックに通い始めた33歳で仕事を辞め、不妊治療に専念することに決めました。それでも、顕微授精を何度か繰り返してもなかなか授からず、しだいに気持ちが荒んでいきます。

「35歳からは高齢出産になりますし、妊娠率はもっと低くなるはず。それまでに授からなければ、もう授かることはないだろうと、勝手に思い込んでしまったのです」と、マヤさん。仕事を辞めたことで時間を持て余し、頭に浮かぶのはまだ見ぬ赤ちゃんのことばかり。すれ違っただけの妊婦さんを妬み、友人の出産も喜べず、マンション内に響く赤ちゃんの声に耳を塞ぐ日々が続き、感情を抑えきれずにご主人に八つ当たりすることさえあったといいます。

「子どもの虐待のニュースなどを目にすると、“そんな酷い親の元ではなく、ウチに生まれてきてくれればよかったのになぜ?”と憤りました。完全に、心が病んでいたと思います。自己嫌悪に陥り、このままでは夫婦仲まで危うくなりそうで、35歳を区切りに不妊治療をやめる決心をしたのです」と、マヤさん。

テニスをしたり、お酒を飲んだり、趣味嗜好も似た夫婦だから、子どもがいなくたって大丈夫。夫婦二人きりでも楽しく暮らせるはず。子どもがいない人生もアリだよね、だから、これで最後にしようと挑んだ顕微授精で──

妊娠! 感涙がこぼれました。

 



子がなくても良い人生そう割り切った時……


それでも出産日を迎えるまで、ずっと不安でした。心から喜べたのは、昨年の7月、元気な女の子が誕生してから、やっと。赤ちゃんの笑い声が部屋中に響くたびに、じんわりと幸せに包まれます。

「今思うと、なぜ35歳という年齢にとらわれていたのかな?とも思います。でも、あの時は、あのまま不妊治療を続けるのが怖かったのです。顕微授精の費用は高額で、ギャンブルのように、注ぎ込むほどにやめられなくなりそうな気がしました。これだけお金を使ったのだから元を取りたい。子どもを授かるまでやめられない! という泥沼にはまりそうな気がしたのです。そこで、ふと子どもがいない人生を考えたとき、“夫婦二人きりで楽しく過ごすなら、老後に海外旅行できるくらいのお金は残したいな”と、という思いに至りました。“これだけの治療費を払えば、必ず赤ちゃんを授かる”といった保証はありません。不妊治療費を巡って、夫婦がぎくしゃくするのも本末転倒だと思います。夫婦仲良く、思いやることができれば、その先はなるようになる。そして、なるようにしかならない」と、マヤさんは腹を括ったのです。

「夫も努力してくれている。顕微授精で、あとは着床しだいという時は、私にも問題があるのでは? と思い悩む。お互いに、“ごめんね、私(僕)のせいかも”と気まずい空気が流れるのも耐えられなくてね」と回想するマヤさんですが、妊娠後は景色が一変!

「世の中の人がこんなにも優しいなんて! と、毎日感激の連続です。電車で席を譲られたり、ベビーカーでの移動で手を差し伸べられたり、夫婦ともに関西出身ですが、子どもを通して友人が増えたりとラッキーなことばかり! 赤ちゃんは幸せを運んでくれる、まさに天使!」と、お二人。

それでも、不妊に悩む人が今も多いことは忘れません。かつては自分も、赤ちゃんを抱いて微笑む母親を羨んだことがあるから。「子どもを授かることは当たり前のことではなく、奇跡なのだ」と身をもって知るからこそです。

「私たち夫婦は“たまたま”幸運だっただけ。どうか読者の皆さんにも、奇跡が訪れますように」と、マヤさんは心から願います。そして、「不妊治療より、まずは夫婦の絆を大切に」とも思うのです。


出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.34 2017 Summer
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