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人工授精で妊娠|不妊治療

コラム 不妊治療

人工授精で妊娠|不妊治療

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2015.9.4

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人工授精で本当に妊娠するの?
実際に、人工授精で妊娠した方にその経緯を伺いました。


経営者としても活躍する安富祖潤子さんは、仕事をペースダウンし、夫婦で“妊活”のため沖縄へ。
環境の変化も功を奏し、念願の赤ちゃんを授かります。


 42歳で結婚後、ライフスタイルを一新


1歳2ヵ月のかわいい女の子のママ、安富祖潤子さん。「母、妻、経営者」の3つの顔を持ち、大変ながらも充実した毎日を送っている安富祖さんですが、娘の希冴(きさえ)ちゃんを授かるまでには、思い切った決断が必要だったと言います。
現在、45歳の安富祖さんが長年のパートナーだったご主人と結婚したのは、42歳の時。「それまでは仕事優先で、自分の生活や結婚は二の次でした。いつかは子どもが欲しいと思っていましたが、40歳を目前にして、このまま仕事優先の生活をしていたらダメなんじゃないかと思い始めて...。
5歳年下のご主人は沖縄出身で長男。義理のご両親や親戚からは、結婚の祝福のそばから「子どもはいつ?」の声が。プレッシャーも大きくなるなか、安富祖さんは、大きな決断をします。仕事をペースダウンし夫婦で沖縄へ短期移住することにしたのです。
「仕事のストレス、毎日の外食や付き合いのお酒など、
東京で仕事を続けていたら、今までと同じ毎日を送ってしまうことは目に見えていました。子どもを望むなら、仕事のペースも環境も自分で変えていくしかないと強く思いました」
安富祖さんが“妊活”の場所として選んだ沖縄は、「出生率ナンバーワンの県で、不妊治療専門クリニックや産婦人科医も多いんです。県民性なのか子どもをとても大事にする土壌があって、子づくりには最適な場所だと思いました。私たちのように“妊活”のため沖縄へ移住してくるご夫婦も少なくないそうです」


 40代での妊娠・出産は本当に大変なことだと実感


安富祖さん自身、高齢出産にあたることはわかっていたため、すぐに不妊治療専門クリニックへ。ホルモン検査と子宮卵管の検査を行い、ご主人も検査を受けました。その結果、お互いに大きな問題はないことが判明。つまり“不妊”ではなく、卵子の老化による“高齢の未妊”であることがわかりました。「3つのクリニックに通いましたが、どこでも『高齢の妊娠は難しい』と言われました。診察初日に『40代だと沖縄ではおばあちゃんですよ。女性の体は20代のうちに、子どもをつくるようにできていて、これまでそのチャンスが何度もあったと思います。卵子が老化した今頃になって、子どもが欲しいと医療の力に頼っ
ても無理ですよ』と言われたこともありましたね」
流れ作業のような診療や、まるで台本通りに高齢出産の難しさを繰り返す先生の対応など、なかなか信頼できるクリニックに巡り合えなかったという安富祖さん。インターネットの口コミも参考にしましたが、最後に選んだクリニックは、地元に長く住んでいる親戚の紹介でした。
このクリニックの先生は、しっかりと安富祖さんに向き合い、話を聞いてくれたと言います。ただ、甘い言葉は一切なかったといいます。「『基本的には難しいけど、可能性がないことはない。子宮の病気など、病名があれば治療ができます。だけど単純に高齢が原因であれば、治療ではありません。手は尽くしますが、タイミング法の時期を知らせることしかできません』とはっきりおっしゃいました。病院に行けばなんとかなると思っていたけど、自分が頑張るしかないのだと。若い先生なんですが、とても気が合って、この先生となら、大丈夫だなと思いました」


 タイミング法と人工授精44歳で念願の妊娠へ


安富祖さんの子宮は年齢よりも若く、ホルモンの分泌状態も良好だったことから、人工授精(AIH)も並行することに。
「今日は排卵日といっても、24時間のうちのいつかはわからない。排卵日が近づいてくるとドキドキしてきて。排卵検査薬の色がだんだん濃くなってきたら、すぐ電話をくださいと先生に言われていたので、濃くなってきたところで電話をしたら『1時間以内に来てください。ご主人も新鮮なものを!』と。すぐクリニックに行って人工授精を行いました。夫婦で生活そのものを妊娠するための体制に整えていたこと、私のタイミングに合わせてくれる先生との出会いがあったからこそ、妊娠できたのだと実感しています」
沖縄に来てから2年弱で妊娠に至った安富祖さん。人工授精はトータルで8回ほど行いました。「人工授精をするたびに、今月もダメか...と毎回毎回落ち込みました。人工授精がいけないのかなと、一時やめたこともあります。妊娠がわかった時は、うれしい気持ちよりも、ホッとしたというのが正直なところです」
妊娠後は先生の指導でとにかく安静に過ごしていたそう。そして出産は東京でと決めていたため、妊娠3ヵ月で東京へ。前置胎盤と診断され、帝王切開での出産となりました。生まれるまでは心配が尽きませんでしたが、無事に生まれたことを聞いて心から安心したと言います。「40代だからといって、諦めないこと。私は妊娠できるまで頑張ろうと考えていました。可能ならば、仕事か、家庭か、子どもか優先順位をつけて絞り込んだほうがいいと思います。あとは、親身になって話をきちんと聞いてくれる先生に出会うことが大切ですね。自分自身の経験からもそれを痛感しています」



出典:ジネコ特別号 Quaranteans(カランタン)






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