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情熱のカルテ~不妊治療にかける想い~ 浅田レディース名古屋駅前クリニック

コラム 不妊治療

情熱のカルテ~不妊治療にかける想い~ 浅田レディース名古屋駅前クリニック

2012秋

2016.4.15

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不妊治療に携わることになった理由やそれにかける想いなどをお聞きし、ドクターの歴史と情熱を紐解きます。


人との出会いに導かれ幸せと喜びをはこぶ生殖医療の道へ


工学部志望の青年が医者としての喜びを知るまで


先生は、最初は医師になるつもりではなかったそうですね。

「私は小さい頃から工作が好きで、暇さえあれば、木や紙を使ってちょこちょこと何かを作っている、そんな子どもでした。当時の夢は発明家。ですから最初に入った大学は、早稲田大学理工学部の電気工学科でした。
ところが、この時の下宿先が運命の転換地でした。たまたま一緒になった同級生のうち2人が、相次いで医学部へ進路変更したのです。早稲田に入学したにもかかわらず、朝から晩まで"医者になりたい"と語る彼らとの出会いで、私もいつしか"医者"という人の役に立つ仕事の魅力に惹かれていったのです。それで結局、早稲田に2年通ったのち、名古屋大学の医学部へ入学し直したのです」

医師になってからは内科へ。その後、産婦人科へ転向されたとか。そのきっかけは?

「大きな契機となったのは、ある2人の患者さんを担当したことでした。1人は末期の肺がんの中年女性、もう1人は白血病の16歳の
女の子。特に16歳の女の子のことは、今でも忘れられない記憶です。当時、白血病の治療は、ドナーの新鮮血から血小板だけを何時間もかけて取り出して、輸血をくり返すというものでした。ドナーの手配からすべてを主治医として全部1人で行ううえに、その頃は患者さんにがんの告知をしない時代でしたから、病室に顔を出しても本当のことは言えず、誤魔化し続けるしかないという毎日。本当に疲れ果てていました。そして、彼女がとうとう亡くなった時、医者としての無力さを感じました。亡くなっていく人を見るのは、本当につらい……。その時に、内科を辞めようと思いました。
そして産婦人科へ。そこでは患者さんに『おめでとう』ということができる。患者さんの幸せをともに喜べる。それがなによりも嬉しく、その喜びは、自分が医者を目指した時の気持ちを思い出させてくれたのです


“一生に一度の研究がしたい”生殖医療の先駆地・アメリカへ


その後、産婦人科から生殖医療の道へ行くまでには、どんな転機があったのですか?

「産婦人科医を3年半勤めた後、大学へ戻ってからは、最初は周産期の研究をしていました。ところが、大学側の都合で不妊治療を研究することになったのです。自ら望んで始めたわけではなかったものの、これが私には合っていたのでしょう。次第に"一生に一度の本格的な研究がしたい"と思うようになりました。そこで、アメリカで最初に体外受精に成功した研究所へ留学。現在の顕微授精法の主流であるICSI法が、世界で初めて成功した1992年の翌年のことでした。
そこでは顕微授精の安全性から培養方法まで、最新の知識と技術をじっくりと学び研究することができました。特に、精子を卵子の細胞質内に注入する際に使うピペットの研究では、卵を傷つけず、いかに使いやすいものにするか試行錯誤を重ねました。生来の工学系の器用さも効を奏したのでしょう。その時作ったピぺットは、ヴァージニア州で最初のICSI成功例に使われ、現在の当院のラボのICSI法のもとにもなりました」


初めての顕微授精の患者さんから贈られた“幸せ配達人”という言葉は今でも私の宝物です


“幸せ配達人”の使命を果たす不妊専門クリニックの開院


帰国後の印象的なエピソードを教えてください。

「やはり忘れられないのは、私の日本で初めてのICSIの患者さんです。その方はICSI以前の顕微授精法でそれまでまったく受精卵ができず、私に会うなり『先生に顕微授精をやってもらえないなら、今、打っている注射を全部やめます』と言うのです。
私は大急ぎでICSIの準備をし、1回目は受精卵はできたものの妊娠には至らず、今度は私からもう一度ICSIをやらせてほしいと頼みました。そして、その2回目で成功したのです。
この時の彼女からの手紙で、私は"幸せ配達人"という言葉をいただきました。それは、自分のそれまでの研究がこんなに役に立った、待っていてくれた人がいた、という大きな喜
びの象徴になりましたね。
そして、その言葉通り"幸せ配達人"の一人になろうと決意した私は、忙しい大学の医師を辞職。当時、年間300人もいた体外受精待ちの患者さんに、少しでも早く幸せを運びたいとの思いから、妻の実家のクリニック
の一角に不妊センターを開設しました。そして2004年には現在の浅田レディース勝川クリニックを開院したのです」

最後に治療中の読者へメッセージを。

「生殖医療とは、次の世代を繋げる素晴らしい医療です。しかし、我々人間は生殖の本質をコントロールすることはできません。それは、卵はどんどん老化し、減少し、ゆえに妊娠率は低下し、さらに個人差も激しいためです。不妊治療はこの4つの衝撃的な事実との闘いなのです。
そのことを踏まえたうえで、患者さんには自分に合った正しい不妊治療を受けてほしい。そして、幸せなファミリーがたくさん生まれてほしいと心から願います」





浅田レディースクリニック 浅田 義正先生

名古屋大学医学部卒業。1993年、米国初の体外受精専門施設に留学し、主に顕微授精を研究。帰国後、日本初の精巣精子を用いた顕微授精による妊娠例を報告。2004年、浅田レディースクリニック開院。2006年、生殖医療専門医認定。2010年、浅田レディース名古屋駅前クリニック開院。この名古屋駅前クリニックは、利便性やラボの規模はもちろん、大きな機材の搬入に便利なビルの形状まで、すべてが先生の理想通り。最新鋭の設備で患者さんを迎えている。

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