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子育てをしたい人がいる、子育てが難しい人もいる——。

コラム 不妊治療

子育てをしたい人がいる、子育てが難しい人もいる——。

2017春 P8-9

2017.3.22

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里親制度は、“子どもの幸せ”のためのもの。それでも、里親にも“育てる喜び”がある。お互いを思いやる気持ちは、親心も育ててくれる。




 


「産まなくても、子育てはできる!」
そう気づいたTさんは、養育家庭の里親に。子どもを育てる毎日には、新たな発見も多く日々の暮らしに彩りが加わったとも。


実の子ではないけれど、“育てる”と決めた日


Tさん(49歳)と同じ歳のご主人とのご夫婦が、Pちゃんと暮らし始めてから4年の歳月が経ちました。当時2歳だったPちゃんも、今春には小学1年生。ランドセルも用意し、ひらがなやカタカナも書けるようになり、漢字にも興味をもち始めました。一緒に過ごす日々、思い出が増えるごとに家族の絆が深まっていくのは、どの家庭も同じ。Tさんご夫婦とPちゃんも、誰の目からも、仲の良い普通の親子にしか見えません。

「乳児院には今でも折を見て訪れています。乳児院は彼女のルーツであり、乳児院の皆さんに大切に育てていただいたことも覚えていてもらいたいです。2歳でうちに来たこと、産んでくれたお母さんがいること、真実告知の絵本もあり、折に触れ読んでいます。まだ幼稚園年長ですが、いろいろと“何か”を感じている様子です。今後も彼女の状況や年齢に合わせて伝えていこうと思います」とTさん。

「いっぱいいっぱい愛して、いっぱいいっぱい楽しもう」と決めた日から、4年。真実と真摯に向き合いながらも、Pちゃんとともに毎日を楽しく過ごしています。

 



“育ての親”も親は親。子を愛する気持ちは同じ


Tさんがご結婚されたのは36歳の時。共通の友人を介して出逢い、2年の交際期間を経て結ばれました。当時Tさんのお仕事は保育士で、日々忙しく、子づくりには積極的にはなれませんでした。

その後クラス担任ではなく、フリー保育士としてのシフトになり、子どものことを考えるように。でも、この時すでにTさんは39歳。産婦人科に通い、治療に専念するため職場を退職し、不妊治療専門のクリニックに4年通いましたが、赤ちゃんを授かることはありませんでした。

まさに出口のないトンネルをさまよっていた時、「映画の試写会のチケットがたまたま当たりました。映画は、行き場のない女の子を遠縁の若者が引き取って育てるというストーリーで、鑑賞したその帰りの道すがら、一緒に行った主人が、“血がつながってない子どもを育てるのって、どう思う?”と言ったのです。主人は私が治療のたびに落ち込んでいる姿を見ていて、以前から考えていて“このタイミングだ”と私に話したのだそうです。目からウロコでした。“そうか、産まなくても、子育てはできる!”と、そう気づかされたのです。その日の夜中はずっと、インターネットで検索し続けました」と、Tさんは振り返ります。

その日を境に不妊治療にまったく未練はなくなり、Tさんの気持ちはすっかり“里子”に向いていました。家族や友人にも相談しましたが、反対する人は誰一人いませんでした。むしろ、「あなたらしいわ!」と、背中を押してくれたといいます。

 



子どもの“幸せ”が優先。巣立ち、を手伝いたい


子どもを迎えるにあたっては、戸籍上も実子とできる特別養子縁組と、単なる里親として子どもを“預かる”養育家庭と、東京都の制度では2つの入り口があります。児童相談所で研修を受ける前の段階で、どちらかを選択しなければなりません。

養育家庭を選んだ場合、2年ごとの更新となります(※他道府県では5年の場合も)。もしもその間に、実親が心変わりして再び子育てを望み、なおかつ子育て可能な環境に改善されたと児童相談所が判断した場合には、預かっていた子どもは、実親の元に帰ることになります。

里親制度は、あくまでも子どもの幸せのためにある制度で、里親の“親になりたい”との気持ちを満たす制度ではない─。それが原則で、「実の親元にお返ししなくてはならない時がくるかもしれない」という事実が、実際に起こり得るのです。育てた子どもを手放さずに済む特別養子縁組を希望する夫婦もいるなか、なぜTさんはあえて養育家庭を選ばれたのでしょうか。

「保育士として、福祉の仕事にもかかわったことがあり、親の事情で悲しい思いをする子どもたちも、つらい状況で子育てされているお母さん方も、多く目にしてきました。不妊治療の病院の待合室で、何度となくテレビのワイドショーで虐待により亡くなってしまった赤ちゃんのニュースを見ては悲しく、切ない気持ちになってました。保育士として、小学生への巣立ちをお手伝いしてきましたが、これからは、私たちの家庭から社会へ巣立たせるお手伝いをしていきたいと思っています」と、Tさんは言います。

 



“普通”であること、その幸せを体感して!


「Pちゃんは2歳でうちに来ましたが、紹介されたのは1歳10カ月の時。毎日のように乳児院に通い、交流を深めました」

最初は怪訝な顔でTさん夫妻を見ていたPちゃんも、やがて打ち解け、良好な関係に。今ではTさん夫妻との生活のなか、元気で明るく、ちょっとおてんばな女の子に成長しました。年齢を重ねていくと自然に「“なんで産んでくれたママとは一緒にいられないの? なんで今のお母さんは私を迎えに来てくれたの?”と、質問してくることも。しかし、自分のルーツについて考えること、そしてそれを口に出せることが今のPちゃんにとっても大切なのです。これから小学校で“生い立ちの授業”や“1/2成人式”で考える機会もでてくると思いますが、私たち夫婦や児童相談所の職員の方々、先輩里親さん、幼稚園の先生方、乳児院の皆さん…Pちゃんは、たくさんの目に見守られています。もし彼女がとまどった時、迷った時には全力でサポートしてあげたいと思っています」。

仲良くなるにつれて、変わったのはPちゃんだけではありませんでした。

「夫の変化にはビックリ! こんなに子煩悩とは思いま

せんでしたし、Pちゃんと一緒の時のデレデレとした顔といったら(笑)。こんな顔するんだ、とちょっと発見でした」とも。
 Pちゃんが片づけ忘れたビーズを掃除機で吸い込んでしまってカラカラと鳴り、「あらあら」といいながら、掃除をしながらもなんだか楽しくて笑ってしまいます。遊園地に行っても、Pちゃんの笑顔を通してみる景色は、今まで夫婦や友達と遊びに行った時とはまったく違って見えたり、と日常はより鮮やかに変化しました。

「Pちゃんと一緒にいるだけで、可愛い、愛おしいという気持ちが自然に湧いてきます。今は、たくさん愛してたくさん抱きしめて、精いっぱいのことをしてあげたいという気持ちです。この先に何があるかわからないけれど、本当の親子でもいろいろあると思います。たとえ困難が待ち受けていたとしても、子どもと暮らす日々の素晴らしさを教えてくれたPちゃんに感謝しながら、毎日楽しく暮らしていきたいです。でも、最近プチ反抗期なんですけどね(笑)」とTさん。


出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.33 2017 Spring
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