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夫と二人で歩いて行く道を選ぶまで

コラム 不妊治療

夫と二人で歩いて行く道を選ぶまで

2017冬号

2017.11.10

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仕事と不妊治療、どっちも中途半端な生活。「子どもがいないと不幸なの?」立ち止まり、自分の心の声を聞いて気づいたこと。




 


子どもが好き、でも仕事も大好き!「出産」と「キャリア」の両立が難しい時代、女性として一人の人間として選んだのは子どもがいない夫婦での生活でした。


仕事大好き人間だった私。子は自然に授かると信じ—


その快活で聡明な話しぶりからわかるお人柄。誰もが心許し、ホッとする「姉」のような包容力と笑顔。それが今回の主人公、阿部博美さん(50代)の第一印象です。「多くの方に私たち夫婦が20年前に選択したような人生があることも知っていただきたくて」。

阿部さんはビジネスパートナーの女性と共に「女性目線」を大切にした企業マーケティング会社を経営。「女性ターゲットのモノやコトを売る会社でも、いまだに重要ポストにいるのは男性ばかり。私が30代の頃は今以上に男性社会。あの時、私の周りに女性がいたら人生は少しだけ変わっていたかもしれませんー」。

マスコミの人材派遣部門で企業と人をつなぐ仕事に情熱を燃やしていた若き日の阿部さん。営業として男性に交じり、がむしゃらに働いていました。30歳でご主人のNさんと結婚。転職したばかりということもあり、その頃が仕事にプライベートに最も多忙だった時期だといいます。
「私も夫も子どもは大好き。当たり前のように妊娠すると思っていたのですが、気がつけば3年経っていました」

医者である阿部さんの実兄から「一度調べてみては」とアドバイスを受けても「はぁ? 何言ってるの、と。でも『35歳はマルコー(高齢出産)だぞ』という言葉に押されて。当時は24歳はクリスマスイブ、それ以降は売れ残りなんて言われていた時代なんですから、失礼しちゃう」と笑います。結局はしぶしぶといった感じで会社の近くにある婦人科へ行くことになりました。まだこの時は自分にとって大きな問題と思っていなかったのです。

 



周囲に相談できぬまま仕事の合間に通院


「まず夫婦ともに検査をしましたが不妊の原因は不明、と。ここに行き着くまでに半年かかったことに本当に驚きました」。仕事大好き人間だった阿部さんにとって、検査だけでも時間を作るのは一苦労です。「外回り営業の合間を縫って病院へ行き、長い待ち時間を経て診察…その繰り返し。しかも会社の上司と同僚は男性と独身女性ばかりで、そんななか不妊治療を始めたなんてとても言い出せる雰囲気ではありませんでした」。誰にも吐き出せず、夫婦だけで耐えるしかなかった時期。初めての人工授精にトライするも撃沈。落ち込む阿部さんは、担当看護師のかける「たった1回で何言ってるの。そんな暗い声出して落ち込まないの」という言葉に深く傷つきました。

もうここにはいられない! 阿部さんはすぐにH病院に転院し、新たな環境で治療をはじめました。それでもまだ不妊治療に本腰を入れられなかった阿部さん。「仕事を休んでまで治療するという生活が考えられず、つい片手間で病院通いをしていましたね」と当時を振り返ります。
 H病院では人工授精を3~4回行いましたが思うような結果は出ませんでした。「仕事のやりくりをし、病院で検査、その後3時間待ったのに『明日また来て』だなんて、エーッ! て。不妊治療にどんどん時間を取られるようになり、ストレスも溜まる一方でした」。

当時は不妊治療の情報も少なく、同じ境遇の人がどのような治療をどれだけの期間受けているのか知る由もありませんでした。「今となると、3年の不妊治療なんて短いかもしれない。でも私にとっては長くつらかった」と阿部さん。

なぜ男性の同僚はこんな思いをせず、バリバリと仕事に集中できるのか。周りに言えずなぜコソコソと不妊治療をしなければならないのか。営業先で既婚とわかると必ず聞かれる「お子さんは?」という無神経な質問に、涙した夜もありました。

医師からステップアップの提案を受け、阿部さんは体外受精にチャレンジすることに。承諾書や戸籍謄本など多くの書類を用意し、さあ後は3日の有給を取るばかりという時に、阿部さんは立ち止まり、心の声に耳を澄ませました。

“子どもがいない私は不幸な人間なの?”

体外受精とは、医師の手で精子を選び受精させること。阿部さんは「命に人の手が介入すること」に最後の最後になって納得がいかなかったと言います。そしてなぜ自分が「子ども」にこだわっていたのか気づいたのです。

「私は28歳で母を亡くしました。だから母のためにどうしても命を、母の血を繋いで行きたいという思いに無意識にがんじがらめになっていたのだと思います。もちろん子どもは好きです。でも子どもが欲しいのはそんな母への義務感だったのかもしれないと思い直したのです」。

 



血が繋がらない子どもたちも私たち日本の「未来の希望」


日々苦しい思いで治療をしている今の自分の姿を見て、亡き母は喜ぶだろうか…。体外受精をキャンセルし、今後の治療について迷っていたある日、義母から「不妊治療まだやっているの?」と尋ねられました。

「実はもうやめようかと…」すると義母は「もう、やめてしまいなさい」とピシャリ。

実は、不妊治療の特集記事が地元の新聞で連載されており、それを毎回読んでいた義母は「不妊治療は女性にとってこんなに大変なものなのか」と驚き、阿部さんの身を案じていたのだそう。

「大変だったでしょ、もうやらなくていいんだよ」

その瞬間、スッと肩の荷が下りたといいます。

「義母には感謝しかありません。治療をやめて体の負担はなくなっても、心は傷ついたままでした。治療をやめた後すぐ、36歳くらいが一番つらかったかな。次々と出産する同僚や友人たちを見ていられなくて。素直におめでとうと言えるようになったのは40歳になって今の会社を立ち上げ、しばらくしてからでしたね」と赤裸々に語ります。

「子どもがいない私と同じくらい、仕事で接する子持ちのママたちも苦労している。自分だけがつらいわけじゃないんだなって」。子どものいる生活を羨ましがるヒマがあればひとつでもいい仕事をして、世の中の役に立ってやろうと、さらに仕事への意欲は燃え上がりました。子育てしながらでもできる仕事を紹介して、企業だけでなくママたちの子育てをサポートできる、つまり「血が繋がっていなくても子育てしているのと同じ」と阿部さんは笑います。

子どものいる人を羨ましがるのはやめて、子どもがいなくて羨ましいと思われる夫婦になろう、と心がけているというお二人。「仕事のあと待ち合わせて一緒に帰ったり、週末はそのまま旅行に行くこともあります。二人の趣味が管弦楽なので、たまに一緒に練習することもあるんですよ」と、穏やかな暮らしを楽しんでいます。

「老後が寂しいのは子どもがいても巣立てば同じこと。動けなくなったらコレクティブハウスに入るのもいい」とご主人と話し合っているとか。
「子どもがいない人は身軽だからこそできる役割がある。子どもは日本の未来。それぞれの生き方で子どもの成長を見守っていける寛容な世の中であってほしいですね」


 


出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.36 2017 Winter
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