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里親になることで得られた新たな人生

コラム 不妊治療

里親になることで得られた新たな人生

里親になることで得られた新たな人生意地をはらず、
力を抜いて考えて里親に。不妊治療で苦しみ続けたことが嘘のよう。
今は「元気なお母さんでいたい」が目標です。

2018.12.18

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「血のつながりなんてどうでもいい、私は産みたいより育てたいんだ」。そう気づいたS美さんは養育家庭(里親)になる道を選択しました。今は日々子育てに奮闘する“普通のお母さん”です。


※2018年11月22日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.40 2018 Winter」の記事です。


顕微授精から始めた不妊治療だった


「高度医療が発達しているがゆえの弊害だと思うのですが、不妊治療もやめられないんですよね。『次はイケるかも』という期待を延々持ち続けてしまえるんです。しかも、やめてしまったら先が見えなくなってしまうので、なかなか終止符が打てない」。そう語るのはS美さん(44歳)。まさに自身がそうだったと言います。
「でも、授からないのであれば、少し力を抜いて産みたいのか、育てたいのかと考えてみては。後者だったら私は里親を選んでもいいと思います」
S美さんは31歳の時、職場の同僚で同い年のT男さんと結婚。もともと子どもが大好きで、すぐにでも子どもが欲しかったのもあり、早々に会社を辞めて妊活を始めました。
「30歳を過ぎていたので、念のため、夫婦揃って検査を受けたんです。そうしたら主人のほうに問題があって……。精子がいないというか動いていなくって。自然妊娠どころか体外受精も無理。不妊治療は思いがけず顕微授精からのスタートになってしまいました」
ショックを受けたのはS美さんよりもむしろT男さん。著しく落ち込んでいましたが、仕事を辞めてまで子どもが欲しいというS美さんの思いを汲んで協力してくれました。
しかし、顕微授精を4〜5回、試みるもまったく成果が出ません。S美さんは悩みましたが、思い切ってAID(非配偶者間人工授精)に踏み切ることに。ある不妊治療の電話相談に問い合わせて聞いたところ、「AIDでの妊娠率は2%程度」と言われましたが、ほかの手が浮かびません。とはいえ、ここでもT男さんは苦しみます。
「他人の精子で妊娠するわけですから、男として悔しかったし、つらかったはず。それでも子どもが欲しいという私のために承諾してくれました」
約6年の間にAIDを10回以上。もうダメかと思っていた矢先に妊娠。しかし、喜んでいたのもつかの間、3カ月で流産してしまいました。


ボランティア先で幼児の切ない笑顔に心動かされ


「終わりが見えないなかで不妊治療を続けてきてそんな結果になってしまって。この先どうしていいのかもわからないし、あの時ほど苦しくてつらい時期はなかったです」
流産から呆然自失の日々を過ごしていたS美さん。ある日、何か子どもにかかわることをしようと思い立ちました。ネットを検索すると近くの乳児院でボランティアを募集していました。すぐ申し込み、ボランティアを始めました。そして、そこでのある出来事が大きな転機になるのです。
「具合が悪くて泣きはらして顔が真っ赤なのに、大人に抱いてほしくてけなげに笑顔を見せる子どもがいて。その切ない笑顔を見ていたら涙がとまらなくなってしまって、ああ、こういう子を救える人になりたいって思ったんです」
意地でも自分の子どもを産むというのではなく、違う子でもいいから育てたい。そう思ったS美さんはすぐ乳児院の方に相談し、里親登録をすることにしました。
S美さんの気持ちの切り替えは早かったのですが、T男さんはさすがに追いついていけません。「反対だ、とはっきり言われました」。
そんなT男さんの心が変化したのは会社での飲み会がきっかけだったそうです。
「60歳近い取引先の人が、子どもがいなくて犬の話ばかりをする。それはそれでいいと思うけれど、俺は寂しい、やはり子どもが欲しいと思ったと言い、里親になることに賛成してくれたんです」
この時点ではもうS美さんは不妊治療をきっぱりやめると決断していました。


2人目の受け入れで本当の意味で里親に


S美さん夫婦は早速、すでに里親になっている人たちの話が聞ける「養育家庭(里親)体験発表会」に参加。児童相談所でも話を聞き、里親登録。すると比較的早い段階で紹介されました。まもなく小学生になるという男の子です。
「小学校の入学もあったので、短い期間に交流を重ねて、委託されてすぐ区役所へ行ったり、ランドセルを買ったりと慌ただしく入学の準備を進めました」
そこまではよかったのですが、いざ一緒に暮らし始めると、言動や行動にいくつか気になるところが出てきました。
「相性がよくなかったんだと思います。私も疲れがどんどんたまっていき、主人も口には出さないものの、つらそうで。しかたなく3カ月を過ぎた頃、施設に引き上げてもらいました」
しかし、1年後、S美さん夫婦は気持ちを切り替え、再び里子を受け入れます。
「最初の子とはうまくいかなかったけど、やはり子どもを育てたいという気持ちに変わりはなかったので。驚いたことに主人も同じでした。ごく当たり前のこととして、次の里子の受け入れを望んでくれていましたね」
紹介されたのは2歳ちょっとの男の子、Y君。最初の3カ月は施設へ通い、面会を繰り返しました。顔を見てもくれなかったY君が、1カ月ほどでS美さんにはなついてくれたと言います。
「お喋りの上手な子で、慣れてくるとどんどん自分から話してくれるんです。ただ、主人にはなかなか慣れてくれなくて(笑)。でも、時間をかければ大丈夫かなとは思っていました」
自宅へY君を連れてきて、晴れて新しい生活が始まりました。


お母さん大好き! その一言で毎日癒やされて


現在、里親になって約4年。Y君も5歳半になりました。初めてのことへの抵抗が強く、最初の頃は食事、入浴、スーパーでの買い物など何をするにも大泣きするなど手間取ることが多かったのですが、今はまったくそんなことはありません。それどころか好き嫌いもなく何でも食べるし、お風呂も一人で入るし、洋服も自分で着られます。
「一つひとつできることが増えていくのが嬉しいですね。勉強も好きで、こちらが言わなくても自分で勉強しています。九九ももう覚えたみたい。好奇心旺盛で耳から入った知識もすぐに吸収してしまう。幼稚園でトランプ大統領の話をしてたって聞いた時にはさすがに驚きましたが(笑)」
Y君はすくすくと育ち、周りからも愛される存在になっています。家では毎日「お母さん大好き」と言ってはS美さんの後をついてまわっているそう。人からは「性格も顔もS美さんにそっくりだね」とよく言われるそうです。
「一緒に暮らしていると自然に似てくるものなんですね。主人にも少し慣れてきて、一緒に銭湯へ行ったりしています。主人もYが可愛くてたまらないみたいで、よく喜びそうなお土産を買ってきますよ」
不妊治療中はどんどん友だちが減っていきました。でも、今はY君を通して知り合ったママ友も増えてよくお酒を飲んだりしているそうです。
「治療中のつらさ苦しさが嘘のよう。今は賑やかに楽しく暮らしています。多少苦しいことがあっても全然平気です。とにかく元気なお母さんでいたいですね、Yのためにも」
*貧困や虐待、実親の病気など、実家庭で生活できない子どもを、公的に育てる仕組みが「社会的養護」です。
社会全体で子どもを育てる、子どものための制度で、家庭に一時的に預かり育てるのが里親です。


 



出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.40 2018 Winter
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