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経験して不妊治療のイメージがガラッと変わった!

コラム 不妊治療

経験して不妊治療のイメージがガラッと変わった!

あえて仕事をセーブしないで不妊治療。
つらいこともたくさんあったけれど、自分らしくトライできてよかったです。

2019.5.31

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まつげエクステサロン「MANHATTAN」を経営する目元プロデューサー垣内綾子さん。
最初は不妊治療に対し、ネガティブな印象しかなかったそうですが、
実際に経験し、お子さんを出産してからは本当にやってよかったと実感しています。


※2019年5月24日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.42 2019 Summer」の記事です。


子宮年齢40歳と言われ人工授精を開始


国内・海外で8店舗のまつげエクステサロン「MANHATTAN」を経営する目元プロデューサー・垣内綾子さん(37歳)。その優れた技術と施術への真摯な姿勢が評判を呼び、多くの芸能人やモデルから支持されています。第一線で活躍する垣内さんも実は不妊治療の経験者です。
「ビジネスとは違い、不妊治療はどれだけ頑張ったからといって成果が必ず出るわけではありません。そこが一番つらかったですね」
ご主人も垣内さんも子どもが大好きで早く子どもが欲しいと思い、結婚前から子づくりにトライしていました。
「できれば自然に産みたい」という思いもあり、結婚後もタイミングをとり続けましたが、なかなかうまくいきませんでした。だからといって次の段階に踏み切る勇気もなかったのですが、産婦人科で検査を受けたのをきっかけに人工授精を開始しました。
「特に検査結果に問題はなかったのですが、当時私は35歳だったのに、先生に子宮年齢が40歳と言われたんです。これは急がないとまずいなと。同時に、子どもができない原因は自分にあるんだと内心、自分を責めていました」


転院した病院では1回の体外受精で妊娠!


人工授精を4回行いましたが、うまくいきませんでした。その後、体外受精にステップアップしたものの、移植しても、卵が着床しませんでした。「先生に他の病院へ行けば、培養液なども変わり、可能性も広がると思うからと転院をすすめられ、そうしました」
転院先で着床障害があるかもしれないということで詳しい検査をするとなりましたが、よく話を聞いていくとそれ以前に受精卵のグレードをよいものを選別して戻していなかったことが判明しました。
「受精卵のグレードが重要なんだと知ってショックでした。前の病院ではそんなことを聞いたことがなかったので。もっと早くに転院すればよかったなとちょっと後悔しました」
少しくらい体がつらくても肌が荒れてもいい、とにかく一番確率が高くなる方法でトライしたいと先生に申し出て、やや強めの排卵誘発剤を多く打つことに。すると10個以上の質のよい卵が採れたので、半分ずつ体外受精と顕微授精を行い、その中のグレードのよい胚盤胞を移植。するとうまく着床して、ようやく妊娠にこぎつけました。
「実は病院へ行く数日前に、妊娠検査薬でチェックしちゃったんです。陽性が出たので思わず震えましたね。ただ、確かな結果ではないので、病院で結果を聞くまでは主人に話しませんでした」
ご主人はもちろん、妊娠を喜んでくれましたが、それ以上に垣内さんが、不妊治療の苦しみから解放されたことを我が事のように喜んでくれました。それが何より嬉しかったといいます。


ダメだった日の帰り勝手に涙があふれてきて


垣内さんが最もつらかったのは治療を始めた当初だったと振り返ります。なかなか結果が出ないこともあり、悶々とした日々が続きました。
「ホルモン剤によって精神的にも不安定になり、また、体にアレルギー反応が出たりしながらも、期待して病院へ向かったのに、『今回もダメでした』と結果を聞いた日は、本当に何もやりたくなくて、誰にも会いたくなくて。電車に乗っていても勝手に涙があふれて止まりませんでした」
今まで我慢していたことが全部ムダになってしまった、こんなに頑張っているのになぜ自分には子どもができないのだろうと気持ちも落ち込むばかりで、仕事も次第に中途半端になっていきました。
そんななか、休日に買い物に出かけた時、大きな鏡に映った自分の姿を見て垣内さんは驚きます。「ノーメイクで髪もボサボサ。なんて暗い顔をしているんだろう」と。このままではまずい、どんどん自分らしさがなくなってしまうと思った垣内さんはそれ以降、不妊治療一辺倒の生活ではなく、もっと自分が楽しめることを積極的にしていくことにしました。
「私は何より仕事が好きなんです。それなのに、仕事をやっているから子どもができないのかな、などと考えてセーブしようとしていました。そうではなく、自分の好きなことは全部やる。いつもの自分のスタイルを貫くことにしたのです。実際、仕事をしているほうが、採卵がうまくいかなくても前ほどは落ち込まなくてすみました」
また、ご主人も大きな存在でした。不妊治療で悩んだり、時に落ち込んでいる垣内さんを、そばで支えてくれました。
「ある時、僕は子どもが欲しくて結婚したんじゃない、あなたと一緒にいたいから結婚したんだからねって。一気に気持ちも楽になりました」
 ご主人はもともと協力的で診察にもたいてい付き添い、積極的に検査も受け、診察でも先生に気になることをどんどん質問してくれました。
「私も不妊治療の1から10まで全部主人に話し、排卵誘発剤の注射や、ホルモン剤の貼付なども一緒にやってもらいました。だから、注射を打つ時の痛さとかも彼はわかってくれているんです。そこはありがたかったですね」


子どもが大きくなったら受精卵の写真を見せたい


妊娠してからも仕事を続けた垣内さん。不妊治療中に出版が決まった書籍『人生が動き出す! ナチュラルデカ目の作り方』(ワニブックス)の撮影や原稿作成が、通常の業務にプラスされたことでより忙しくなりました。
「つわりがひどい時もあったし、何度か切迫早産しかけたし、33週目には胃腸炎で緊急入院も。生まれてくるまでいろいろ怖さはありましたが、でも、あとはもう神様が決めてくれるんだからと思って、悔いのないよう日々を過ごしました」
35週の健診で体重が2000グラム以上あったので、飛行機に乗っても大丈夫と先生から許可をもらい、そのまま出産する土地へ移動しました。到着して3日後に破水し、36週目に早産。
「陣痛促進剤を入れるたびに赤ちゃんの心拍が下がったので、最終的には帝王切開に。破水後18時間で生まれました。その間に主人が到着し、何とか生まれる瞬間に立ち会ってくれました。泣き声を聞いた瞬間の感動は忘れられないですね」
生まれた子どもは今、3カ月を過ぎたところ。すくすく順調に育っています。「子どもは居てくれるだけで本当にたくさんの幸せをくれるんだなって実感しています」と幸せオーラ全開で話す垣内さん。
「体外受精、顕微授精で子どもを産むことに後ろめたさを感じる人もいると思います。私もそうだったから気持ちはよくわかる。でも、できてしまえば自然妊娠の子どもと何ら変わりません。普通に育ちます。むしろ受精卵の写真を見せてあげられるなど、自然妊娠では体験できないことをさせてあげることができます。子どもは神様からの授かりものですが、衰えていく卵子は取り戻せません。ステップアップに悩んでいるのであれば、ぜひ一歩を踏み出してほしいですね」
不妊治療にさえ、自分らしさを求めて実践した垣内さんの生き方はとても新鮮。今後は仕事、育児において自分スタイルを貫いていくとのことです。


 



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