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東京都でスタートした新生児委託事業で里親に

コラム 不妊治療

東京都でスタートした新生児委託事業で里親に

【her story vol.62】
夫の無精子症が明らかになって
AIDと養子縁組の両方の検討を同時に開始。
“子どもと共にある生活”が私たちの望みでした。

2019.8.31

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人工授精前の検査で無精子症がわかったM男さん、Y子さんご夫婦。
60、70歳になった時に後悔したくないと考えた二人は
医師に告げられた選択肢からAIDと里親の2つをチョイスし、
最終的に東京都の新生児委託事業で生後間もない赤ちゃんの里親になりました。


※2019年8月24日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.43 2019 Autumn」の記事です。


子どもを諦めるという選択はなかった


Y子さん(43歳)とM男さん(39歳)夫婦が東京都の新生児里親に登録し、生後まもないOちゃんを迎え入れたのが約1年半前。今はOちゃんは戸籍にも入り、実子のように暮らしています。
「行動が私に似てきた気がする」とY子さんが言うと、M男さんも負けじと「頭がいいところは僕に似てるよ」と顔をほころばせて楽しそうです。
二人が結婚したのは約5年前、Y子さんが37歳の時でした。年齢的なこともあり、早々に不妊治療を開始。近くの産婦人科でタイミング法から始めたのですが、半年経ってもできませんでした。そこで医師の勧めもあり、二人揃って不妊検査を受けました。
「その結果、私は問題なしだったのですが、主人が無精子症とわかって。すぐにTESE(精巣内精子採取術)の手術を受けたところ、精子を採るのは難しいと言われました」
この時、医師から三つの選択を告げられました。一つめは「子どもはもう諦める」、二つめは「AID(非配偶者間人工授精)」、三つめは「養子縁組で里親になる」でした。
「まず、子どもを諦めることはできないね、というのが一致した意見でした。二人よりも子どもがいたほうが生活も楽しくなるという思いが、お互い強かったからです」とM男さん。Y子さんも「ここで子どもを諦めたら自分が60歳、70歳になった時に悔いが残る気がして。だから、もうやれることは全部やっちゃおうということになり、AIDを受けることと、里親になるための準備を同時に進めることにしました」


転職をきっかけにAIDの治療を終了


AIDとは第三者から提供された精子を使って妊娠を試みる方法のこと。Y子さんは都内の病院に登録し、精子ドナーがいると病院から連絡があった際は必ず治療を受けました。「でも、なかなかうまくいかなかった。ほぼ毎月、計1年半、治療を続けました」
AIDには抵抗を感じるご主人も多いのですが、M男さんにはそれがまったくなかったそう。
「僕の中では正直、AIDも里親もそんなに違いがなかったんです。子どもは神様からの授かりもの。ですから、どちらも挑戦してダメだったらそれはそれでしかたないかなという気持ちもありました」
そんななか、AIDの治療を断念したのは、Y子さんの転職がきっかけでした。それまで金融関連の会社で働いており、AID診療のたびに遅刻させてもらっていました。しかし、新たな職場でさすがにそれはできないと思いAIDを終了させたのです。
ところで、この時期になぜ転職をしたのでしょうか。
「キャリアアップのためです。実はVBAというプログラミングの資格を取得したので、それを生かした職を探していたところ、見つかったから」
いったん不妊治療に入るとそれだけに全力投球しがちですが、Y子さんは仕事に関する自身の将来設計もしっかり見据えていました。


里親に登録して1年後新生児委託が始まって


AIDと併行して、里親になるための行動も開始していたY子さんとM男さん。最初にまず養子縁組を支援するNPO法人の説明会に参加します。そこで東京都の里親制度のことを知り、すぐに問い合わせ、申請要件の確認を受けます。それが済むと同時に認定前研修を受講し、家庭調査などを経て東京都から里親の認定・登録を受けました。
「登録すると、こんな子どもがいるけれど、どうですか? と連絡があるんです。それが毎月1、2件。毎回エントリーするのですが、他の候補者のほうにお話がいってしまって。そんな時期がしばらく続きましたね」(Y子さん)
1年ほど経った2017年10月、東京都で新生児委託の事業が始まりました。生後28日未満の赤ちゃんを、特別養子縁組を希望する夫婦に託すというモデル事業です。その話を聞いて、Y子さんたちはすぐに手を挙げ、新生児里親になるための面接と2日間の研修などを経て、新たに新生児里親に登録しました。
すると、その月の下旬に突然、東京都の担当者から連絡がありました。「生後まもない赤ちゃんを数日後に、乳児院に連れて行きます。そこにお二人で来てもらえませんか」と。あまりに急な展開でしたが、「いきなり話がいきますよ」と事前に聞いていたので、わりと冷静に対応できたといいます。そこで対面した赤ちゃんがOちゃん。愛らしい女の子でした。
「うちで引き取ることが決まると同時に、私は仕事を辞めました。乳児院へ行くとそのまま3泊4日の育児研修に突入。その間、主人は会社を休み、Oちゃんと3人で一緒に生活するための予行練習をしました」(Y子さん)
乳児院ではミルクのあげ方、抱っこのしかた、お風呂の入れ方など乳児の扱い方をひと通り教えてもらいました。そのうえで、用意されていた1カ月分のおむつとミルク、そして乳児用の組み立てベッドなどを受け取り、研修後、自宅へ戻りました。Oちゃんが生後11日目のことでした。
「うちは戸建てで、2階がリビングになっているのですが、そこで寝かしたほうがいいとアドバイスを受けたので、急きょ部屋のレイアウトも変えました」


家事も育児も完全分担制子どもがいることが楽しい


本当にある日突然、コウノトリがOちゃんを運んできたかのごとく、二人の生活スタイルもがらりと変わりました。「夜泣きも大変だったし、熱が急に出たりすることもあるし。子育てはとにかく大変と実感しています」
それでもOちゃんが来てくれてうれしいと二人は声を揃えて言います。
「Oちゃんが居てくれることですごく癒やされる。保育園のお迎えに行くと、僕の姿を見かけるとすぐ一目散に走ってきて抱きついてくれる。うれしくてたまらないですね」
実はOちゃんが6カ月を過ぎた頃から近くの保育園に預け、Y子さんは資格を生かせる職場を新たに見つけ、働き始めました。共働きのため、家事は分担。保育園に連れて行くのはY子さんで、迎えに行くのはM男さん。食事や離乳食を作るのも料理が得意なM男さんの担当です。ちなみに夜泣き対応の「夜当番」も交代制にしているそうです。
「Y子にも自分の好きなことをやっていてほしいんです、子どもがいてもいなくても。結婚当初からずっとそう思っていました。だから僕ができることは何でもします」
Y子さんは大らかで、M男さんは何でもきっちりやりたがる性格。まったく正反対の二人ですが、「自分たちの人生にプラスになることを積極的に取り入れて前進していきたい」という人生観は同じ。里親もまさにその価値観のもと、実現させたことです。
「思うような結果が出ない時は、なぜ子どもが欲しいのか、夫婦でもう一度話し合ってみては。私達は血縁より子どもとの生活を望みました。Oちゃんのように親を求めている子どもはたくさんいます。そういう子どもたちの親になるのも不妊治療の選択肢の一つとして入れていいと思う。それによって人生がより明るく豊かになるんですから」
血のつながりにもこだわらず、柔軟な発想で不妊治療をとらえ、かつ仕事のキャリアも大事にしたY子さん。その生き方、選択に新たな風を感じます。


 



出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.43 2019 Autumn
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