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天気のよい日は空を見上げて「ママ、ここにいるよ」

コラム 不妊治療

天気のよい日は空を見上げて「ママ、ここにいるよ」

38歳で不妊治療を開始して42歳で妊娠。
明るく笑って、楽しく生活していれば
きっと来てくれると信じていました。

2020.2.27

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30歳の頃に流産を経験し、結婚後すぐに治療を開始した
ナツキさん。期待と不安が入り混じる治療の日々のなかで
ジネコを見ることが励ましの一つだったといいます。
今、自分も誰かの励ましになればと、お話しくださいました。


※2020年2月25日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.45 2020 Spring」の記事です。


流産して初めて考えた子どもができない未来


「20代の頃は正直、子どもが欲しいと思ってはいませんでした。でも、今の夫との子どもを30歳の頃に流産して、もしかして自分には子どもができないのかもしれないという気持ちが生まれました。そうなって初めて、子どものいる人生にしたいという思いが強くなり、35歳頃から婦人科に通うようになりました」と振り返るナツキさん(仮名・44歳)。
当時は排卵も順調で、特に問題もなかったとのことですが、婦人科の先生に言われた『年齢的にも妊娠できるチャンスがあるのならば早いほうがいい』との言葉が、ずっと心にあったと言います。結婚したのは38歳。すぐにその頃住んでいた静岡市にあるTクリニックを受診しました。
「検査では、夫も私も特に妊娠を妨げる異常はなくて、初診後、1年間はタイミングで様子を見ていたのですが妊娠できず、翌年1月から人工授精を始めました。1、2、3月と3回人工授精をしてもダメで、5月から体外受精に向けて、ブセレキュアⓇという点鼻薬と注射を始めました」


陰性のたびに励まされたジネコで見た体験談


そして6月に初めて採卵し、8月と10月に移植。その際にはレスキュー顕微授精も行ったといいます。
「ただ、私はもともと生理の量も少なくて、それに比例して内膜がなかなか厚くならず、なっても7㎜台だったので、週2回、鍼治療に通ったり、体を温めたり、食事にも気をつけていました」
それでもいい結果が出ない…。ナツキさんは当時の思いをこう語ります。
「どんなにいい卵が採れても妊娠できないことがあるという知識はあったものの、実際に採れた卵は5AAとか割といいランクで、レスキュー顕微授精でもダメだった。年齢的な焦りもあったし、当初、体外受精までは考えていなかったので、精神的にもいっぱいいっぱいになっていたのでしょうね。津波が来て、水がビルの中に溜まってぶわっと溢れ出るという象徴的な夢を見たり、微熱が出たり、体調を崩したりもしました」
当時、フルタイムではないものの仕事を続けていたナツキさん。接客業だったため、どんなに気持ちが沈んでも、人前では笑顔を絶やすことはできません。
「むしろ、それが精神的にはよかったのかもしれません。また、ジネコで見た13回目の移植で妊娠したという人の体験談が印象に残っていて、13回も⁉と驚くと同時に自分にもまだ希望があるかもしれないと、陰性が続くごとにそのことを思い出して、励まされるような気持ちになっていました」


移植直後にお笑いを見たりとにかく明るくいようと


そうして1年が過ぎた春に、ご主人の転勤で愛知県へ。県内にあるクリニックの体外受精説明会に参加する傍ら、友人2人が妊娠したという別のクリニックで、クロミフェンを使った刺激で行う簡易体外受精を試みるも陰性。翌年4月から、名古屋市のN産婦人科で体外受精を再開します。
「その時は最初から顕微授精でとお願いしました。初診の時に測ったAMHは年齢相応で、際立って悪いわけではないけれど、すでに40歳。体の機能的にも経済的にもどこまで治療を続けられるかわからないと、暗く考えてしまいがちな時も多々ありました。でも、できるだけ自分の気持ちが沈まないように、妊娠することばかりを考えないように、ありきたりかもしれませんが、ほかに楽しみを見つけるようにもしていました。パン教室に通ったのもその一つ。その時間はパンだけのことを考えていられるので(笑)、私にとってはよいリラックスになっていたと思います」
自己注射のあるアンタゴニスト法で始まった顕微授精では、5月に3つを採卵し、3日後に新鮮胚を移植。残りを9月に移植しましたが陰性でした。
「あの頃は、天気のよい日には空を見上げて『ママ、ここにいるよ』って。マスクをしていると顔が見えないかもしれないと、マスクまで外して(笑)。また、移植をした後は、病院で30分から1時間くらい横にならせてもらうのですが、その時にユーチューブでお笑いの動画などを見て、明るい気持ちでいられるようにしていました。とにかく、明るく笑って、楽しく生活していれば、子どもは私のもとへ来てくれるのではないかと、どこかで信じていたのです」


精神面でも治療の面でも最後まで諦めなかった


そんなナツキさんの気持ちが通じたのは、8回目の移植の時でした。その時に採卵した8個の卵のうち7個を顕微授精。2つが分割胚になり、最終的に胚盤胞まで育ったものを移植して、ついに妊娠したのです。
「その時の気持ちは、今、思い出しても涙が出ます。大げさかもしれないけれど、夢のようってこういうことを言うのだなと」
実は7回目の移植がダメだった後、何かほかに原因が見つからないかと、不育症を得意とするクリニックも重ねて受診していました。
「当時、乳首に何か付いているような違和感もあって、担当の先生にも了解いただいて受診しました。そこでの検査で、寝ている間やストレスがかかった時に、プロラクチンの値が高くなっていると言われ、薬を飲み始めたのですが、乳首の違和感はなくなったものの、生理がいつもより早くきて、周期が乱れたのです。その後の移植での妊娠でしたので、そこでホルモンのバランスが少し変わったのかもしれません。いいのか悪いのか本当のところはわかりません。内膜も結局、厚くなることはなく、7㎜台のままでした。でも、精神面でも治療の面でも、最後まで諦めずに頑張ってきたことがよかったという思いは、今もあります」
妊娠してもすぐに切迫流産の疑いで入院したり、お腹の張り止めを飲んだりとハラハラすることも多かったというナツキさん。
「でも、不安になれば血管が収縮したりして余計に悪い。だから、妊娠するまでもしてからも、常に“明るく楽しく”を忘れないようにしていました。お腹の子どもに名前を付けて『まだ出てきちゃダメだよ』って話しかけたり、歌を歌ったり(笑)」
そして予定通り、無事に生まれたお子さんは現在1歳に。「どんな時も自分を責めないで。なによりも自分の幸せな気持ちを大切に」と最後にいただいたナツキさんのメッセージが、どうか多くの方の心の糧となりますように―。


 



出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.45 2020 Spring
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