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スペシャルインタビュー『世界初の体外受精児として生まれるまで、そして今思うことをお伝えします』

コラム 不妊治療

スペシャルインタビュー『世界初の体外受精児として生まれるまで、そして今思うことをお伝えします』

母の強い想いが私を授けてくれました―
『世界初の体外受精児として生まれるまで、そして今思うことをお伝えします』

2018.8.27

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5月に行われた、はらメディカルクリニック主催「ナースのためのART医学セミナー2018年」の特別講師として来日した、世界初の体外受精児ルイーズ・ブラウンさんをジネコが特別取材。ご両親や自分を誕生させた医師のこと、体外受精に対する想いなどをお聞きしました。


 


 ※2018年8月27日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.39 2018 Autumn」の記事です。


自分が体外受精児と知らされたのはいつですか。その時の心境は?


私は普通とはちょっと違った生まれ方をした――。そう両親から伝えられたのは確か4歳の時でした。私が誕生するシーンをビデオで見せてくれて、ほかのみんなとは少し違う生まれ方をしたことを教えてくれたのです。

その時期に両親が私に伝えたのは、学校に通う前に基本的なことを理解しておくべきだと思ったからでしょう。子どもというのは時にひどく残酷で、何も知らないままではなぜからかわれているのかを理解できず、戸惑ってしまいますからね。
成長するにつれて、両親がインタビューを受ける様子を見て、その質問や答えを聞きながら徐々に理解を深めていきました。何か疑問に感じることがあればいつでも気軽に尋ねることができましたし、父も母もきちんと答えてくれました。私たち家族にとって、つねにオープンに語り合える話題だったのです。


ご両親が体外受精を受けられた経緯を教えてください。


父は母に出会う前に一度結婚をしていて、2人の娘がいました。母と再婚してから、子どもを授かるために10年ほどチャレンジしていたようです。でも、なかなか妊娠に至らず、落ち込んだ母はうつの症状が出てしまい、それで病院を受診したそうです。

その時に、イングランド北部のオールダム総合病院で行われていた体外受精の臨床試験の話を聞きました。母はそこで初めて、パトリック・ステップトー医師とケンブリッジ大学のロバート・エドワーズ教授の存在を知ったのです。
両親が暮らしていたブリストルにある病院の女医さんがパトリックに連絡をして、すぐに予約を取り付けました。両親はわらにもすがる気持ちで、400マイル離れたオールダムまでパトリックに会いに行ったのです。


 




来日を記念し「ARTの明日」と題されて開催された、
ナースのためのART医学セミナーで講演するルイーズさん。


お母さまは躊躇なく、体外受精という治療法に臨まれたのですか?


パトリックは婦人科医ですから、母が彼の病院を訪ねると、そこにはいつもお母さんや赤ちゃんたちがいました。それを見た母は、体外受精はこれまで何度も行われてきていて、まさか自分が歴史上初めてのケースになるとは夢にも思っていなかったようです。

母は「必ず妊娠するための手助けをしてくれるはず」と、彼のことを心から信頼していました。それはとても重要なことだと思います。実際に体外受精の治療に入る前、母には両側卵管閉塞があったため卵管を切除したり、ほかにもいくつかの手術を受けなければなりませんでした。
1977年の11月、受精卵が母の子宮に戻され、その後、エドワーズ教授から手紙が届いて、そこには母が妊娠初期である可能性が高いことが書かれていたそうです。こうして、母が信じていた通り、まるで当たり前のことだったかのように私を授かりました。

母は、「もし誰かが “ロンドンのトラファルガー広場の真ん中で裸で逆立ちできたら、子どもを授けよう” といったら、迷わずそうしていたわ」ともいっていました。それくらい子どもを望み、心から信じた結果、本当に授かることができたのだと思います。


ルイーズさんにとってお二人の医師はどんな存在なのでしょうか。


悲しいことにパトリックは私が10歳の時に、エドワーズ教授は2013年に亡くなりましたが、二人とも素晴らしい人たちでした。

2010年、エドワーズ博士はノーベル生理学・医学賞を受賞されましたが、私と、その後に続く1000万の尊い命が IVF によって生まれて来ることができたのは、彼らの膨大な知識と助けがあったおかげです。ひと言でいうのは難しいのですが、彼らは私や家族にとって本当に大きな存在なのです。

私のミドルネームは “JOY” といって、これはエドワーズ教授とパトリックがつけてくれました。JOY(喜び)こそが彼らが母に与えたものであり、そしてこれから治療を必要とする多くの人々に与えたいと願ったもの。とても素敵な名前をつけてもらったと感謝しています。


 




今年40歳を迎えたルイーズさん。
手にしているのは、これまでのご自身の半生を綴った
著書『My Life As the World’s First Test-Tube Baby』
(2015年12月刊)。


最後に、不妊で悩んでいる日本の女性たちにメッセージをお願いします。


体外受精をするかどうか悩んでいる方がいて、もし母がここにいたら迷わず「おやりなさい」というでしょう。母は赤ちゃんが欲しいという強い想いに後押しされて、未知の方法を選びました。ですから、迷わずに進むことです。力になってくれる素晴らしい医師や看護師たちが大勢いて、今は技術も格段に進歩しています。もちろん、必ず成功するわけではありませんが、よい心の状態を保ち、強く信じることが大切。私はそう思います。


 


お話を伺った方のご紹介

ルイーズ・ブラウンさん  (Louise Joy Brown)


イギリス出身。1978年7月25日、帝王切開により世界初の体外受精技術による子どもとして誕生。妹のナタリーさんも1982年に体外受精で誕生している。その後、健康に成長し、ルイーズさんは2004年に結婚。自身は自然妊娠で2人の元気な男の子を出産した。

出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.39 2018 Autumn
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