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子宮内膜症やさまざまな経験を越えて、二人が出した結論とは?

コラム 不妊治療

子宮内膜症やさまざまな経験を越えて、二人が出した結論とは?

子宮内膜症やさまざまな経験を越えて、二人が出した結論とは?

2015.6.4

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「私たちには選択肢が少ない」
だからこそ最後まで諦めず、できることはすべてしようと思いました。(前編)


高校生の頃から、まぴぱんださんを苦しめ続けてきた「子宮内膜症」。
体も心もつらい経験を何度もしながら、それでも諦めずに妊娠への道を探り続けるご夫婦の物語を紹介します。



突然の激しい腹痛と手術子宮内膜症と診断されて


現在、不妊治療をしているまぴぱんださん(41歳)。「人生を大きく変えるかもしれない」という病気があることがわかったのは、今から20年ほど前、彼女が20歳の頃でした。「地元・福島の高校を卒業後、1年半くらい東京で勤めた後にやめて、また実家に戻って暮らしていました。その時、痛みは突然起こったんです」3日ほど前から高熱を出して寝込んでいた土曜日。声も出せないほどの激しいお腹の痛みが、まぴぱんださんを襲いました。「すごく痛いのだけれど、痛くて叫ぶこともできない。涙と汗しか出てこないほどの激痛でした」びっくりしたお母さんはすぐに救急車を呼び、市内の病院へ。検査後、最終的に産婦人科へ回され、緊急手術をする事態となりました。「お腹を開いたら、右の卵巣に
できたチョコレートのう胞が破裂していました」重症の子宮内膜症――。先生からそう言われても、当時まだ若かったまぴぱんださんは、ピンと来ませんでした。「高校生の頃から生理痛はひどかったんですが、友達にも生理痛が重い子がいたし、鎮痛剤を飲んでいる子も結構いたので、自分の症状が特別だとは思わなくて。異常だとも思っていなかったし、その時は子宮内膜症という病気があることさえ知りませんでした」しかし、子宮内膜症に気づかずに鎮痛剤を飲んで何とかごまかしていた痛みも、社会人になった頃には効かないほどの強い症状となってきていたそう。「生理が始まってしまうと、もう会社には行けなかったですね。立てない、歩けない、ご飯を食べることもできない。生理のたびに、3日間くらいそんな状態が続いていました」手術では、のう胞が破裂した右の卵巣を摘出する選択もありましたが、左の卵巣もあまりいい状態ではないということで、全摘ではなく、少し残すことに。「先生からは“できる限り残してはいますが、もしかしたらお子さんはできにくいかもしれない。もし結婚してそのようなことがあれば、病院へ行ってください”といわれました。今考えれば、妊娠についてはかなり厳しい状態だったんだろうな、と思いますが、その当時は20歳。結婚もまったく考えていなかったし、そんなに重大な病気とは思いませんでした」20年前といえば、まだインターネットは普及しておらず、現在のように婦人科の病気をテレビや雑誌で大々的に取り上げるという時代でもありません。情報が入ってこないことに加え、子宮内膜症という病気自体、当時は医師の間でも、女性にとって重大な病気だという形で認知はされていませんでした。


20代での結婚、離婚...そして出会い


大変な思いをした手術から4年後の24歳の時、まぴぱんださんは2歳年上の男性と結婚。ま
だ若かった二人ですが、「子どもはすぐにでも欲しい」と望んでいました。「でも、2年が過ぎても妊娠しなくて。“やっぱり...”という思いが少し頭にあって、チョコレートのう胞の手術を受けた病院へ行きました」子宮卵管造影検査を受けましたが、異常はなし。ご主人のほうは精子の数が若干少なめという結果でした。「その時、人工授精をすすめられたんですが、まだお互い若かったからでしょうか。“そこまでして”という思いがあったので治療は受けず、また自然に任せることにしました」結局、子どもを授かることなく、4年と少しの結婚生活を経て、二人は離婚。その後、まぴぱんださんは派遣社員として仕事に集中する日々を送りました。そうして、離婚の痛みも消えかけてきた頃、運命の人、くにょんさんと出会います。「くにょんは、私の1歳年下。派遣先の社員で、同じ職場で働いていました。最初の印象は“調子のいい人”。飲み会などではいつもヘラヘラしていて、全然タイプじゃありませんでした(笑)。でも、とても仕事ができる人で、一緒に働くうちに、少しずつ見る目が変わっていったんです」いつの間にか、一緒に遊びに行ったり、お酒を飲むように...。仕事仲間から恋人へと距離を縮めていった二人。恋人同士でも十分楽しくて、しばらく結婚は考えていませんでしたが、つき合って2年が過ぎた頃から、周りのプレッシャーが強くなっていったそうです。「くにょんは長男なんです。だから、お義母さんが早く結婚してほしかったみたいで。でも正直、私は結婚するのが怖かった。前の結婚で子どもができなかったので、“またできなかったら期待に応えられない、どうしよう”って...。できれば先に子どもができてから結婚したかったのですが、古い土地柄なこともあり、そういうわけにはいきませんでした」


やっぱり自然では無理!?不妊治療をスタート


病気のこと、子どもができにくいかもしれないこと。そんな不安も抱えてはいましたが、二人はめでたく結婚。まぴぱんださんが31歳、くにょんさんが30歳の時でした。「結婚後、しばらくは自然に任せていましたが、やっぱり妊娠はしませんでした。くにょんは決して口に出して言いませんでしたが、きっとすぐにでも子どもが欲しかったんだと思います。彼は子どもと接する時、可愛いがるだけじゃなく、ちゃんと一人の人間として接しているんです。それを見ていると、“ああ、この人、いいお父さんになるだろうな”って。そんな彼を早く父親にしてあげたいと思いましたね」幸せな結婚生活を送っていても、「自分は子宮内膜症で子どもができにくい」という意識がずっと頭の片隅にあったというまぴぱんださん。夫のためにもすぐ病院へ行けばよかったのかもしれませんが、現実を知るのが怖くて受診したくない、という気持ちもあったそうです。周りから「子どもはまだ?」という声も出始めた結婚2年目。不正出血が続いて婦人科を探していたところ、まぴぱんださんのお母さんが、不妊治療で有名な県内のとあるクリニックをすすめてくれました。診察後、問診票を見た先生から“もしお子さんが欲しいと思ったら、また来てね”と言われて。しばらく考えた後、そろそろかも...と思って、不妊治療を始めることにしました」検査はほとんどせず、すぐにクロミッド®を飲んで基礎体温をつけ、タイミング療法を開始。34歳。まぴぱんださんの不妊治療はここから始まりました。


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