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病気を抱えながらの不妊症と不育治療

コラム 不妊治療

病気を抱えながらの不妊症と不育治療

病気を抱えながらの不妊症と不育治療

2015.6.11

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ことりmama*さんとご主人のオット君は、結婚以来19年間、不妊治療と不育治療を続けています。10代の頃からの月経困難症、男性不妊、膠原病、そして、つらい流産と死産...さまざまな想いを抱えながらも前を向いて歩き続ける二人の物語。今回から4回連載でお届けします。


すぐにでも子どもが欲しい。結婚後から治療スタート


一つひとつ言葉を選びながら、これまでの体験や思いを明るい表情で語ることりmama*さん。隣で微笑みながら、ことりmama*さんが言葉に詰まるとさりげなく助け舟を出す、ご主人のオット君。二人は、結婚以来19年間、不妊治療と不育治療を続
けています。二人の出会いは22年前。オット君が勤務していた会社にアルバイトとしてやって来たのが、当時学生だったことりmama*さんでした。自然に交際がスタートし、ことりmama*さんの卒業後、しばらくしてから結婚。「私はもともと結婚や家庭への憧れが強く、子どもはすぐにでも欲しいと思っていました。ただ、10代の頃から重い月経困難症で...。中学時代に貧血で倒れて病院に運ばれた時の検査で、自分は子どもができにくい体質だということがわかっていたんです。そこで、結婚後、すぐに不妊治療を始めました」(ことりmama*さん)20代と若かったため、タイミング療法からスタート。当時は二人とも不妊への焦りはなかったようです。「彼女が治療のために病院に通い始めた頃、僕は不妊について、あまり深く考えていませんでした。そのうちできるだろうという感覚でしたね」(オット君)しかし思うようには妊娠に至らず、さらに、ことりmama*さんは結婚後の環境の変化で体調をくずしてしまったのです。「二人とも北海道出身・在住なのですが、私が生まれ育った町は、北海道のなかでも比較的おだやかな気候でした。でも結婚して最初に住んだ町は、冬の寒さが厳しくて。雪かきを1日に何度もしているうちに体を冷やしてしまったのがいけなかったのでしょうね。そして、翌年の夏は猛暑。汗がかけない体質なので、熱中症になって血圧が200まで上がったり、胃から出血したりしてしまって」(ことりmama*さん)日常生活を送るのもつらいほど弱ってしまったことりmama*さん。このままではいけないと、オット君はことりmama*さんが生まれ育った町への転居と、転職を決意したのです。


男性不妊と膠原病が発覚して...


引っ越しを機に、二人は本格的な不妊治療をスタートさせることに。体にさまざまな不調を抱えることりmama*さんは詳しい検査を、オット君も精液検査を受けました。もともと、不妊治療には協力的だったというオット君ですが、精液検査を受けることに抵抗は感じなかったのでしょうか。そんな質問に、オット君はさらりと答えます。「検査を嫌がる方も多いようですが、僕は気になりませんでした。結婚以来、子どもが欲しいという希望は、彼女にとって本当に大きくて大切なことだというのが伝わってきていましたし、頑張っている姿もそばで見ています。もしも不妊の原因が自分にあったら、彼女がいくら頑張ったところで無駄になってしまいますから」しかし、一緒に頑張ろう、そんな気持ちを固めていた二人にとって、検査結果は喜ばしいものではありませんでした。オット君が精子の数が少ない男性不妊であることがわかったのです。また、ことりmama*さんには膠原病の疑いがあり、検査の結果、抗リン脂質抗体症候群や橋本病などの自己免疫疾患があることが判明。これ
らの病気は不妊症や不育症の要因になるともいわれています。「タイミング療法では2年間妊娠しなかったこと、私にも夫にも不妊要因があることから、新しい病院では早い時期から人工授精に進み、4回行いました。本当は早く体外受精にステップアップしたいという気持ちがあったのですが、そこは設備がなく、人工授精までの治療だったので」その後、二人の主治医が独立し、体外受精のできるクリニックを開業。ことりmama*さんとオット君は、それをきっかけに転院し、体外受精へ進むことになりました。


体外受精で妊娠しても
流産をくり返してしまう不育症のつらさ


転院先で治療を始めたことりmama*さんとオット君は体外受精でついに妊娠。しかし、連続で流産してしまいます。「流産は9回経験しました。私の場合、やっと妊娠できても、自己免疫疾患があるため、自分の持っている抗体が胎芽を異物として認識して攻撃し、流産してしまう。不育症なんですね...」(ことりmama*さん)不育症とわかってからは、妊娠後には流産の怖さと闘わなければならないのです。「妊娠したら赤ちゃんは生まれてくるもの、というのが普通の感覚だと思います。でも不育症の場合、妊娠はゴールではなく、スタート。私の場合ですが、妊娠したらそこからどう頑張れるか、そして不安と恐怖に産まれるまで耐え続け、うち勝つことができるかだと思っています」(ことりmama*さん)妊娠がわかるたびに、ことりmama*さんは一切の家事をやめ、トイレ以外は起きない絶対安静の日々を送ります。そして、持病の抗リン脂質抗体症候群の症状の1つ、血液が固まりやすくなるのを防ぐため、毎日、朝晩のヘパリンの自己注射とアスピリンの服用を続けます。胎盤への細い血管に血液が通るようにすることで、赤ちゃんに栄養と酸素を送り、妊娠を継続させる治療方法です。「体質なのか、注射したところが内出血してあざになるんです。お腹とか太ももとか、洋服で隠れる場所に打つのですが、もう、あざがない場所はないくらいです。でも、赤ちゃんの命をつなぐ方法はそれだけですから、痛くても、あざになっても続けるしかないのです」しかし、流産はくり返されました。排卵誘発剤の注射の副作用に耐え、採卵、体外受精を行い、やっとの思いで妊娠しても流産してしまう。身を切られるような思いです。今は、前よりは気持ちの切り替えができるようになったけれど、以前は流産直後に病院に行くこと、人と会うことがつらかったと、静かに話すことりmama*さん。「病院で、同じくらいの時期に妊娠した人のお腹が大きくなっていくのを見るのはせつなかったです。誰にも会えなくなって、引きこもった時期もありました。相手に気を遣わせたくなくて『だいじょうぶよ!』なんて無理にテンションを上げてしまうのですが、一人になった時に、どっと疲れてしまうんです。実際の気持ちは、だいじょうぶじゃないので...」悲しい体験をいくつも乗り越えながらも、二人は治療を続けていきます。 (つづく)





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