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やれるだけのことはやろう。後悔したくないから、これが最後と決めてアメリカで治療を受けることにしました。

コラム 不妊治療

やれるだけのことはやろう。後悔したくないから、これが最後と決めてアメリカで治療を受けることにしました。

2014秋 P6

2014.10.10

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体外受精を2年で5回。でも着床は一度もせず…


10ヶ月のかわいい女の子のママであるアキさんは、今47歳。出産したのは46歳の時でした。アキさんが友人宅のクリスマスパーティで、7歳年上のアメリカ人の彼と知り合ったのは42歳の時。すぐに意気投合し、惹かれ合い、半年後には一緒に生きていこうと思うようになっていました。お互いの年齢のこともあり、すぐにでも子どもが欲しいと思いましたが、1年近く様子を見ても妊娠せず、治療を始めることに。アキさんの職場に同じくらいの年齢で不妊治療をしている友人がいたので、病院を紹介してもらいました。そこではタイミング法と人工授精を半年間行いました。

これでは効果が出ないと感じたアキさんたちは、違う治療をしてくれそうな病院を自分たちで探し、転院。二人で行った初診で「あなたの年齢だと時間がないので、一番高度な治療から始めましょう」と体外受精を勧められました。アキさんも彼も前に進みたい気持ちが強かったので、抵抗なく受け入れることができたそうです。

そこでは薬をほとんど使わず自然周期で1~2つ採卵し、胚盤胞まで育てて凍結し、違う周期に移植するという方法でした。アキさんは仕事を続けていたので毎月通うことはできず、途切れ途切れではありましたが2年ほど通い、体外受精を5回行いました。しかし、1度も着床することはありませんでした。
「結果を聞くたび、かなり落ち込んでいました。やはり、年齢のせいなのだろうかと。でもそのたびに彼が “可能性がゼロと言われているわけじゃない。また次頑張ってみよう”と励ましてくれました」(アキさん) 仕事をしながらの治療はストレスフルであった一方、病院からすぐに仕事に行くことが多かったため、気がまぎれて思い悩むということもなかったそう。

しかし、妊娠しないままアキさんは45歳になっていました。
「このまま続けていてもうまくいかないのではないかと思うようになりました。年齢的にもリミットが近づいていましたし、最後に違うところで違うやり方でやってみようということになったんです。アメリカではもっとアグレッシブな治療をするので、そこでやってみようと彼が提案してくれました」

ちょうど職場で退職プログラムが導入され、前年に退職していたアキさんは、アメリカでの治療を決意します。アメリカでも一番高い成功率を出しているクリニックを調べました。そしてニュージャージー州にあるクリニックで治療を受けることを決めました。そして彼と一緒にアメリカに向かいました。


ニューヨークに渡り、新たな治療に挑戦


日本と違ったのは、まず2日間かけて全身の検査をしたこと。不妊治療のクリニックとは別の機関で検査を受け、そこの先生の「この人は大丈夫です」というサインを提出しないと不妊治療が受けられないそうなのです。アキさんは風疹の抗体の注射を打っただけで、ゴーサインが出ました。まず担当の医師とカウンセリングを行いました。

「先生から“統計ではあなたの年齢で妊娠できる確率は5%。だけど僕たちはいろいろな手段を使って、25%まで高めたいと思っています。これって悪くない数字ですよね。頑張りましょう”と最初に言われました。無理している感じはなくて、本当にそうなんだと思わせてくれたんです。25%なら、もしかしたらうまくいくかもしれない。この先生を信頼して任せようと思えました。

最初のステイはここまでで、一度帰国し、最短で治療がスタートできる1カ月後に再度渡米。今回も最初は彼と一緒でした。いよいよ治療のスタートです。 採卵は高刺激法で、毎日おなかに自己注射をします。最初は怖かった注射もコツをつかんで、毎日問題なくできました。彼は採精を終えて先に帰国しましたが、アキさんは採卵を2サイクルやって移植までする予定だったので、3ヶ月間マンスリーアパートに滞在。近くにはアキさんのいとこ夫婦が住んでいたので、滞在中はいとこに遊びに連れていってもらったり、一緒に飼っている犬の散歩に行ったりして過ごしました。

「ノーストレスで過ごさなきゃという気持ちがあったので、本当に楽しいと思えることをして過ごしていました。日本での仕事をしながらの治療はストレスフルで、それが原因でうまくいかなかったのかもしれないという気持ちもあったので。いとこがいて助かりました。一人だったらくじけていたと思います」
そして採卵日。13個採卵することができました。
「自分でも驚きました。そんなに強い刺激が初めてなので、体がびっくりしてたくさん出したのかもしれません」

2回目の採卵も10個採れました。しかし合計で20個以上も採れたのに、胚盤胞まで育って凍結できたのは1回目で採れた中の1個だけだったのです。
「やっぱりダメだ…」アキさんはそう思いました。でも日本にいる彼に報告すると、「1個できてよかったね」と言ってくれたのです。いつもアキさんを明るい気持ちにさせてくれる彼。
「やれるだけのことはやったし、これで終わりにしようと決めました。彼も同じ気持ちだったと思います」


いよいよ最後の移植へ。着床確認は日本で


3カ月の滞在の最後に移植を行うことになりました。ここでも日本と違っていたことがありました。移植前に必ず受精卵の染色体検査を受けるのです。
「もし異常があった場合、それでも移植するかを聞かれると思うのですが、私は幸い問題がなく、そのまま移植できました」

この時の染色体検査の結果が、その後の流産の不安を少し減らしてくれたと言います。飛行機には3日後に乗っていいと医師に言われたため、すぐに帰国。帰国後も受精卵を定着させるための自己注射を毎日朝晩2回打ちました。すぐには着床確認をしてくれる病院がみつからず、帰国から5日後、市販の妊娠検査薬で調べてみることにしました。直前に「どんな結果が出ても、今日は忙しく過ごそうね」と彼が言ったことを、アキさんは鮮明に覚えていると言います。

結果は「陽性」。1度では信じられず、翌日もう1度調べましたが、やはり同じ結果が。 それから通う病院をみつけ、確定診断も受けました。順調に赤ちゃんは育ち、昨年8月に46歳で無事に女の子を出産。

「今もし昔の自分に会えるなら、“最後にはうまくいくよ”と言ってあげたいですね。日本での治療中は卵子のグレードもよくなくて、質が落ちている、老化しているんだなと思ってくじけそうになっていましたから。今、治療に行き詰まっている人も、できる限りのことをやってみる価値はあると思います。いろいろチャレンジしてみることをお勧めします。私もこれで最後と決めていましたし、やるだけやったら後悔もないと思うのです」




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