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母がおばあちゃんになって。

2014.6.18 16:51    0 14

質問者: やゆよさん(38歳)

私は三姉妹の長女で父は子どもながらにろくでもない人で、ギリギリの生活費を母がやりくりし、母方の祖父母に助けてもらいながら何とか生活してきました。

と、淡々と説明する分にはできるのですが、記憶として幼少期、母との思い出がありません。抜け落ちたかのように、何をしてもらった、どんなことで遊んでくれたかすら、家が狭かったので自室がなく一緒の部屋で寝ていたのは確かなのに、本を読んでくれたとか、お話をしてくれたかなど、本当に思い出せません。

物心ついたときにはそれをしてもらってこなかったと理解しており、愛情の薄い家庭に育ったと思って生きてきました。

仲良しの友達のお母さんを羨ましかったり、何でも母に相談するという友人に嫉妬したり、私のどこかネガティブな思考は母との関係が良くないからなのかと悩みながら生きてきました。

事実、あまり人を信じられなかったり、深い付き合いを避けたがります。仲良くなりたいと思っても、相手はそうじゃないかもという考えがよぎるので踏み込めません。

そういうのは幼少期の母との関係が影響するとあり、妙に納得しました。

でも、結婚して四歳の娘に対しての母の接し方を見ると、あれ?良い母じゃない?と思うのです。


父も私が高校生で他界し、今は年金暮らしなのでおもちゃを買うお金がないからと、昔ながらの遊びを教えてくれ、花を植えたり咲かせたり、その汁で絵を描くことまで子どもに見せてくれます。

孫の構って攻撃にも辛抱強く付き合ってくれますし、遊びながらも筋力を鍛えれるような体の動かし方を教えてくれていたり、昔の人の知恵が満載の関わり方です。

こんな人だっけ?というのか正直な感想です。

私の記憶では、無口で家のことはしっかりする、でもあまり一緒に楽しんだ記憶はない、笑っている顔も覚えてない、です。

妹も確認するとそうでした。
あんまり覚えてない、それがあたりまえすぎて、ということなんでしょうか。

嫌だったという思いすらなく、ただ、時系列として、少ない写真に残っていることとして見ている状態です。

おばあちゃんになったから、だからこその関わり方なのでしょうか。

お手伝いをさせてもらった記憶もない私の目の前で、子供用の包丁で四歳の娘に手解きし、味見をさせ、それを自然にしている母は別人に映ります。

折り紙を真剣に教えたり、お金のかからない工作を教えてくれたり、そんな特技があることすら知りませんでした。

私は母の愛情の記憶がないことを
きっかけに幼児教育の道に進み、今は娘と息子に家での遊びをたくさんするようにしています。

娘も息子も私のように忘れてしまうのかな、と不安です。

もしかしたら一種の障害かもしれないという思いもあるからです。

今の母のように私にも関わってくれていたとしてそれを全く忘れ、愛情がないとずっと思ってきたのはなんだったのか、もしくは母がおばあちゃんになったからこその関わり方なのか、どちらにしても聞けません。

今が幸せならそれでいいのかもしれませんが、私は結構な期間苦しんできたのも事実で、母と私の娘が遊んでいるのをみるたびに複雑な気持ちになります。

せめて私の子どもには私の今の姿や態度、何気ない日常でも、楽しかった、愛されていたと覚えていてほしいと願ってしまいます。

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回答一覧

こんばんは。

主様のお母さんも当時は大変だったことでしょう。主様の記憶どおり笑顔になれないくらい。
でも今たくさん笑顔になられて孫とも遊ぶことができて良かったですね。

なにより愛しい主様の子供だから可愛いのですよ~(*^^*)

2014.6.18 21:24 8

まる(35歳)

状況が似ていたもので…レスします。

結論から言うと、「母は本当は、私にもこんなふうに接したかったのだろうな」です。

私にも娘がおります。
母は保育士で、間もなく定年です。
私が幼い頃は、父の仕事の不安定さから、公務員である母が大黒柱状態。私の目にはいつも、よその子供のことばかり気にかけているように映ったものです。母の手料理は食べた記憶がありません。お弁当もへんてこで、恥ずかしくて隠しながら食べていました。
父とは、私が高校生の時、父の借金で離婚。
私が進学先から地元に戻り、結婚・出産を迎えるまでの数年、母に対しこれまでの不満をぶちまけるような関係が続きました。
私自身の、人間関係の基盤が歪んでいると自覚したとき、原因が母との関係にあるという結論に行き着き、話し合いを求め、ぶつかり、おかげで納得できることが多々ありました。それ以来、他人との付き合い方も妙にすっきりした気がします。自分比ですが。

母が私の娘と関わるのを見て、職業柄得意な分野というのもあるのですが、たまにふと「あんたの時も、やってやりたかったんだけどね、あんまり忙しくて、ダメだったねぇ」と遠い目をするので、私もいよいよ毒気が抜けました。

若かった苦労ばかりだった母のことを思うと涙が出ます。今は感謝の気持ちでいっぱいです。

主さんのお母様も、主さんが忘れてしまったのではなく、事実やっぱり忙しくて余裕がなく、ろくに出来なかったのかもしれません。
今、お孫さん相手に、ようやく女親らしいことができる喜びを感じているのかもしれませんよ。
主さんが今、余裕を持って娘さんと関われているなら、きっと娘さんの心に残ると思います。子どもと笑顔で関わることができる環境にいられることに感謝ですね。

2014.6.18 23:55 16

まり子(秘密)

>父は子どもながらにろくでもない人で、ギリギリの生活費を母がやりくりし、母方の祖父母に助けてもらいながら何とか生活してきました。

これが全ての答えじゃないんでしょうか?

ほぼ母親がひとりで子供を育てていく訳です。
主さんが望むような接し方をする心の余裕なんてなくてただ必死に毎日を生きてきていた。

ただ、それだけの話のような気がします。

今は、生きる為に必死になる事もなく子供と接する事が出来るので、そのような接し方になっているだけなんでは?

主さんが望むような解りやすい愛情は見せてくれなかったにしても、ちゃんと愛されていたんじゃないでしょうか。

でも、主さんも子供だったから気付かなかっただけで。


もし、本当はちゃんと接してくれていたのに自分に問題があって記憶が無くなったのでは?

って不安があるのなら、普通に母親に聞いてみたらどうですか?

私らが子供の頃、そんな風に接してくれてたっけ?って。

小さな頃の記憶があまりない人っていますし、それほど気負わず聞いても良いと思います。

案外今考えているような不安とか吹き飛ばせるような話が聞けるかもしれませんよ。

2014.6.19 07:28 19

匿名(42歳)

やゆよさんと似た環境です。
うちも三姉妹で、父は勝手な人。
母は離婚しましたが、養育費さえありませんでした。
私は仕事ばかりの母を見ていて関わりは薄く寂しかったです。
だから母との思い出って少ないです。

私の母の場合は、駆け落ちで結婚したので、親からの支援はなく、母は仕事を掛け持ちして寝る時間も少なく、生きるだけ、子供を食べさせる事に必死だったのだと今は理解出来ます。
自分に何かあった場合を考え生命保険だけで月に五万以上支払っていたそうです。

責任感が凄かった、あの頃はきつかった、必死だったという話しは大人になってぽろっとこぼしたのを聞きました。

そして今は良いおばあちゃんで、孫の体を動かす元気な遊びにも付き合ってくれます。昔を思うと考えられません。
今は母を尊敬しています。

お母さん必死だったのかなと、私は読んで感じました。

個人的には関わりをしっかり持っていたら、大人になって、ふと思い出すのでは?と思います。

2014.6.19 08:12 7

私も(41歳)

私は4姉妹で、同じく最低な父親とそれに耐える母親の元で育ちました。
父親は高校生になる直前に失踪しました。

私も具体的に何をしてもらったって記憶はありません。
本を読んだもらったり一緒に遊んだ記憶はありません。

覚えてるのは、母の二の腕を触りながら一緒に寝てたこと、料理する母の後ろ姿、母が読書する姿。
でもよく笑う母でした。
辛くても笑う母でした。
母の泣きそうな笑顔が、子供ながらに胸に突き刺さり、母を喜ばせることが生きがいになりました。

お手伝いに関しては、母から教えてくれたりしたことはありませんが、私が母に張り付いて覚え、自ら手伝っていました。
なので主さんの「お手伝いをさせてくれなかった」に、「ん?お手伝いさせてくれなかったんじゃなく、お手伝いしなかったのでは?」と思いました。
お母さん大変だったんですよね。それは子供ながらに感じて育ったはず。
助けたいと思ったことはなかったんですか?

実は、よく手伝う子だった私はその分母との関わりも多かったからか、愛されて育ったと記憶しています。
しかし自分のことしかしなかったすぐ上の姉は、大人になってから「愛されなかった」と鬱になり、母を憎むように。
他の姉妹からみたら、どう考えても全員平等に育ったのに何故?
仕事を掛け持ちしながらも必ず料理を作り、精一杯育ててくれた母が不憫でなりませんでした。

いつもいっぱいいっぱいで家事をこなし、時々読書をするのが息抜きだった母。
きっと私が自分から母に関わっていたことが大きいのかもしれません。
遊んでもらった記憶はありませんが、そばにいた記憶はありますから。

本当に子供に愛情のない冷たい母親だったのなら、いきなり孫相手に上手く遊んであげることは出来ないと思います。
当時はそれを発揮する余裕がお母さんにはなかった、主さんも関わろうとしなかった。
私の姉のように、悪い方に流れてしまったんだな、というのが私の感想です。

2014.6.19 08:32 8

スマイル(28歳)

当時はそんな余裕がなかっただけで、今が本来のお母様の姿なのではないでしょうか。

2014.6.19 10:15 9

くろ(30歳)

人はそうそう変わる生き物ではないと思います。

今見ているお母様の姿は、昔からそうだったのだと思います。ただ、お話されている通り、子供を育てるために必死な場合、そういう余裕はなかったのだと思います。

子供のころの記憶力って、人によって様々だなと思います。私は生まれて初めて自分が何をしゃべったのか、鮮明に覚えていますので、きっと忘れちゃってるだけだと思います。

主様は覚えていないかもしれませんが、お子様はきちんと覚えているかもしれませんよ。覚えていることが大切なのではなく、ネグレクトされていれば、知的障害もおきますから、きちんと育っているのであれば、面倒はしっかりみてもらっていたのだと思います。

孫に対する接し方は、余裕があると年をとった方はみんなそういいます。自分の子供を育てる時は、必死だし、躾けもしないといけないから、結構、厳しいんだとか。

2014.6.19 11:15 3

りんご(秘密)

主さんの悩みや感情が少しでもわかるつもりで返信します。

幼少期の記憶がない、母親の笑った顔が思い出せない、楽しい記憶がない、全く同じです。

どなたかの、私は同じ環境でしたが自分から母のそばにいたので愛されていると思っていましたという投稿は、そういう記憶がない、という私たちを苦しめます。

自分から母親を遠ざけていたと主が書かれていますか?

その記憶すらないのかもしれません。

どうして、お手伝いをさせてもらえなかったのが、しようとしなかったからだとおもうのですか?する子は愛されるがしない子は愛されないの?

記憶がなく苦しむことがわかっていなさすぎます。

主の投稿からはおかあさんは普通のお母さんだったのだなという気持ちの雪解けのようなものを感じました。

私は愛されていない傾向の性格にあてはまるから、記憶のない部分を勝手に母に愛されいなかったからだというピースで埋めてつじつまを合わせてきたけど、もしかしたら愛してもらっていたのに、何か脳の障害で記憶がないの?と違う葛藤が出てきているのでしょうか。

笑顔のお母さん、手を繋いでくれたお母さん、笑いあった記憶のあることと、無表情のお母さん、自分に関わっている場面として登場してくれないのは全く違います。

主が淡々と説明する分にはできるのですが、と書かれていることも、周囲からの情報だったりしませんか?

私はそうです。
数少ないアルバムの写真の母も笑ってはおらず、ほんの数枚、眺めても何も覚えていません。

おなじような人がいるのですね。

私の母はもういません。

どうか、おばあちゃんになったお母様をお大事になさって下さい。

2014.6.19 12:01 8

かな(32歳)

かなさん

私も極端だったかもしれませんが、あなたも極端です。
手伝うから愛される、手伝わないと愛されない、なんて一言も書いてません。
ただ手伝う分関わりが増えるのは事実ですよね。
関わりが増える分、そばにいたという感覚になるのも事実です。

読んだ限りは、小さな頃に本を読んだり遊んでもらえなかった、いつも大変であまり笑わない母といるうちに、物心つくころには愛情の薄い家だと思うようになった。
愛情の薄い家だと思ったのなら、そこから先は主さんも母親に対して避けたり遠巻きに見るようになったのではないかと思います。

でも私には本当に愛情のない家庭だったとは思えません。
そんなお母さんが孫に対してそこまでしてあげられるとは思えません。

私は母よりに考えてしまっているんだと思います。
私は物心ついたときから大変そうな母を助けたかった、何かをしてくれたわけでもないけど、育てるだけで精一杯の母の支えになりたかった。
それなのにいつも自分の好きなことしかしてこなかった姉が、成長してから愛されてないと母に文句を言うのが許せなかった。

私の姉と主さんが似てる気がしてしまうんです。
そして主さんの母と私の母が重なってしまいます。

2014.6.19 13:35 1

スマイル(28歳)

主さん、横レスすみません。

スマイルさん、あなたは主の本文をさらっと読んで勝手にお姉さんと重ねて、自分はこんなに努力したから愛されているとわかりますと言いたかっただけですよね。

あなたもご苦労されたとは思いますが、あなたのお姉さんと主さんは全然違うと思いますよ。

あなたのお姉さんは何もしなかった、それをあなたは母のせいにしていることに許せない気持ちがあるようですが、主さんの文章から何もしなかったことは読み取れますか?

私は自分がそうだからわかりますが、なにもしなかったかどうかすらわからないのです。
だからお手伝いをしたいとおもったけどできなかった環境かもしれない、言い出せないくらいの環境かもしれない、お手伝いを断られたかもしれないと考えます。

しなかった、自分から母を遠ざけたあなたのお姉さんとは違いますよ。

そして、主は妹さんとも話し合いををされているようですよ。
ご長女です。妹さんも記憶にないとおっしゃることで遺伝的に記憶に障害があることも心配されているのかもしれません。

私も単なる推測です。

でも、あなたの自分は母を助けてあげたい子でしたという主張、姉はなにもしなかったという否定、それを書き込んで似ていますという場ではなかったように感じます。

失礼しました。

2014.6.19 17:03 7

かな(32歳)

皆様、ご意見ありがとうございます。熟考しています。

私が淡々と説明したことは、周囲から聞いた話を元に後から構築されたことのほうが多いです。がんばり屋で人を頼らない、祖父母が見かねて無理矢理支援していたとか、私は一番上だったので母に留守番を頼まれることが多く、妹の面倒をみる良いお姉ちゃんだったと近所のお喋りなおばちゃんが昔話で話してくれました。

あまり覚えがありません。
田舎だったので遅くまで外で遊んでもそれが普通の家庭が多くて、ご飯が遅かったから一番下の妹がよく寝てしまって私がおんぶしてたとか。

近所のおばちゃんのほうが記憶があり苦笑いでした。


記憶としてはっきり覚えているのは中学生でその友達とのやりとりなどです。

小学校のときのことは、ぶつ切りになら記憶がありますが、楽しかったとかの感情はわかりません。家庭については穴が開いたようにありません。

それ以前は私は小学生から産まれたのかと思うくらいです。

すぐ下の妹も同じような感じです。一番下の妹は病気がちだったのでおんぶしてもらって病院に行った記憶があるようですが、私にはそんなことがあったことも覚えがないです。

心の成長とともに自分の性格にあてはめ、親に愛されなかったと勝手に思い込んで性格に妙に納得させてきましたが、母に当たり散らしたり愛されなかったと直接言ったり気持ちを伝えたことはありません。

皆さんのご意見を聞いて、やはり何かがきっかけで覚えていないだけで、今おばあちゃんとして孫にしていることは母の持っている性格であり、昔もできたかできていなかったかはわからないけど、してくれていたかも。私が忘れているだけかもと考えれるかもしれません。

書いたように、相談事をしたり深い話をしてきた関係ではないので、昔の話とかわざわざ話すのにすごく抵抗があります。

事実、孫とは話していますが私とは連絡事項、世間話以外の深い会話はしていません。


3人とも母になり月に一度は母と会うようにしています。

私の今の暮らしよりずっと大変だった時期を育ててくれた母を、不器用ですが大切にしたいと思います。

ありがとうございました。

2014.6.19 19:54 4

やゆよ(38歳)

私はごく平凡な家庭で育った三姉妹の長女ですが、記憶に関しては主様と似ていますよ。
おそらく妹たちの妊娠・出産ででしょうが、寝込みがちだった印象が強く、母は病弱なんだと勝手に思い込んでいました。あれ?意外とアクティブな人なんだと思ったのは大人になってからです。
一緒に遊んだ記憶はほとんどなく、どちらかというと怒られた記憶が多いです。
長子って、親が下の子たちに構っているのも見てますし、自分も面倒を見る立場に早くからなりますから、親に構ってもらった記憶って少ないんじゃないでしょうか。
妹たちが生まれた頃の記憶は特にほとんどなく、もしかしたら寂しさもあって自分が記憶に留めないようにしていたのかもなぁ、と改めて考えれば思います。
その頃は親も必死ですし、子供自身も自分のことで手一杯で、一番すさんでいる時期なのかもしれません。
孫になれば、余裕もできて、親と違って責任も少ないので、穏やかに接することができるというのもあるんじゃないかなと思います。
記憶に残るかなどあまり考えすぎずに、ご自分らしくお子さんを愛してあげたらいかがでしょうか。もしかしたら、今お子さんを可愛がることができているのは、お母様が愛してくれていたことが心のどこか、自分でも気付いていないところにあるからかもしれません。

2014.6.20 10:56 0

匿名(36歳)

お母様、当時は本当に大変で、一生懸命お仕事をされてきたのでしょうね。
本当は、今、お孫さんに接しているように、主様姉妹ともしたかったのだと思います。
自分の子供にしてあげられなかった分、お孫さんにしてくれているのでしょう。
そう考えれば、少しは気持ちは落ち着きますか?
今からでもお母様との思い出がつくれるはずです。

2014.6.20 11:02 2

とくめい(秘密)

今更ですが、うちの主人と主さんが仰ってる内容がとてもよく似ていたのでレスしました。
主人も基本的に家族以外の人を心から信じる事ができないらしく人と深く関わろうとせず、遠慮して踏み込むこともできないそうです。
そして子供の頃の記憶を聞くと驚くほど覚えていません。

両親に愛情がないかというとそうではなくとても大切だと言いますが、私からすると自分の両親なのに本音でぶつかるという事がなく、妙に他人行儀なところがあり距離を感じます。

主さんのお母様も必至なだけだったんでしょうし、主人の母も忙しく働いていた人なので責める事はできませんが、今主人と義母の関係を見て主さんのスレを読んでいると、子供の頃の親子の関係や関わりは子供の人格を作る上でもとても影響が大きく大切な事なんだなと改めて考えさせられました。

でもそういう経験も踏まえて我が子に接する主さんのお子さん達はまた違った育ち方をするだろうし、記憶がないということもおこらないんじゃないかなと思いました。

2014.6.22 07:45 0

匿名(32歳)

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