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障害のある子ども(長文です)

2002.6.5 10:40    0 14

質問者: たまさん(秘密)

パート先の同僚(35歳、子ども2人有)と話していた時、「子どもできたら検査してもらったほうがいいよ〜。私も、妊娠中に食べたレバ刺から菌が入って、お腹の子が水頭症ってわかって、仕方なく中絶したんだ」って言われました。
その時に彼女には、いろいろな葛藤や悲しみもあったと思います。
彼女の人柄からすると、無神経に言ったのではなくて、まだ子どものいない私へのアドバイスのつもりだったと思います。
でも、でも、みなさんはどう思いますか?
私は、幼稚園教諭・保育士をしていた時に、障害児の担当になったこともあり、親さんの切実な悩みや、その子の将来への不安も聞いています。でも、障害のない子どもと同じように、子育ての喜びや幸せだって沢山、沢山あるんです。
もちろん、障害の種類や重さによっても違いはあると思いますが、産まれてきた命に、喜びが一つもない人生なんてないんじゃないかと、ほんのちょっぴりですが経験を通して感じたりしてました。
でも、今の私はそう考えていても、いざ「お腹の子に障害がありますよ」って言われた時、その瞬間の私はどう考えるんだろう・・・そんなことを考えていたら、今まであったはずの自分の中の考えとか、常識とかがとてももろいもののように思えて、わけのわからない不安がおそってきたんです。
短大の時にゼミで観たビデオで、中絶の時、鉗子やバキュームの機械から必死で逃げる赤ちゃんが超音波映像に写っていました。
この世界に生まれてきてなくても、あかちゃんには命があって、生きる本能だってあって、それを殺してしまうことに正当な理由なんてあるんでしょうか?
中絶する人の全てを否定してるわけではありません。
私自身、自分の子が障害児でも、母親になった喜びは同じです!と言い切れるわけではありません。
本当に、何が正しいのかが自分でも混乱してわからなくなってるんです。
私は、ずっと子宮内膜症で、ラパロも3回しました。結婚して1年、子どもはまだできません。
こんな、赤ちゃんにはきっと居心地が悪い私のお腹に、奇跡のようにやってきてくれた赤ちゃんに障害があると言われたら・・・その子の後はもう妊娠できないかもしれないのに・・・
今考えても仕方のないことだけど、考えても答えがでることではないのかもしれないけど、考えてしまう私です。
でも、勤めていた幼稚園にいたダウン症の子の5歳のお誕生日会の時、その子のお母さんが、「この子が産まれた5年前には、こんな幸せな5年後があるとは思わなかった」って言っていました。そうしてゆっくりと答えのでる問題なのでしょうか・・・
いろいろな意見を聞かせてください。
もし、この書き込みをみて、気分を害された方がみえたならごめんなさい。

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回答一覧

たまさん、こんにちは。実は私も少し前まで同じことで考え込んでいました。
私も養護学校の保健室で勤務していたことがあったので、様々な事を見聞き
し、混乱してしまいました。今、赤ちゃんをのぞんでいるのでなおさら、
一時はパニクりました。でも今はひとつの結論が出ました。それはこの問題
に「正解」はないって思えたからです。自分が妊娠したときによーく考えて、自分達にとって一番、無理のない正直な選択をすればいいんじゃないかって。
人が何と言おうと、自分達の正直で責任のある選択をしなければ、あとで
起きてくるかもしれない問題を他人のせいにしてしまうと思うんです。こん
なに頑張っているのにうちの子は・・って。お腹にいる赤ちゃんの検査を
したいと思えばすればいい。倫理的観念から検査は絶対にしたくないと思う
ならしなければいいと思う。だってどちらも、いのちを大切に考えての選択
になるはずだから。世間は、身内はどんな目でみるだろう?って思ってしま
うから「こうすべき」という結論を見い出さなくてはならない錯覚に陥って
いたことに気づいたんです。私のところに赤ちゃんが来てくれたら、2人で
よく相談して道を決めたいと思っています。文章がまとまっていなくてごめ
んなさい。あまり悩んでストレスをためないでくださいね。

2002.6.5 14:35 10

ミル(秘密)

たまさん初めまして。
この問題って難しいですよね。私も障害のあるなしに関わらず、命がある事こそが尊いと思います。
でも世の中に安楽死という言葉があるように、余計な苦しみを抱かせるより楽に逝かせてあげたい、、という気持ちも理解出来ないとつっぱねる事も出来ないのです。
実際、障害のある子どもによって喜びを得た人も多と思いますが、この問題は他人が思うよりずっとシビアな部分を含んでいます。そのため本人、周りの人ともにその辛さに負けてしまう人もまた多いと思います。

私自身障害を負っているわけではありません、身内にも居ません。でもとても大切に思っている友人に障害に立ち向かい、克服していっている人がいます。彼女からは私は多くのことを学びました。付き合っている内に症状も段々改善し、以前は話す言葉も半分聞き取れればよい方だったのに、今は一緒にお茶しにいったり、映画を見に行ったり(字幕は辛いそうですが)自由に遊べます。
ただ、彼女にも悩みがあります。それは自立したいと思っても出来ないという事です。普通に生きる事は出来ますが、目が悪く、手もやや不器用なため、PCを扱ったり細かい作業というような事がやりにくいらしいのです。今彼女は絵に情熱を注いでいますが、たまにその問題に思いめぐらすととても辛い思いになるらしいのです。

私に出来るのはただ見守るだけ。辛い時に愚痴を聞く事、そして彼女が良いパートナーと出会いますように、と祈る事だけです。私は彼女が大好きで、彼女が頑張って生きていてくれて良かった、彼女の家族と、それを乗り越え、今も頑張る彼女自身に感謝の気持ちで一杯です。彼女は前向きに支えてくれる家族を持ち、とても恵まれていました。
でも世の中そういう家族だけとは限りません。障害に立ち向かう事は、心身ともに大変というだけでなく、お金と周りの偏見に耐えるという現実的な問題もからんで来ます。周りのサポート無しには到底乗り越える事は出来ないと思います。そしてそれを得る希望が無かったら。。?

この問題は、やはり、世の中が障害に理解を持ち、前向きになり、また行政としてのサポートもより充実していく事でしか解決しえないと思います。
どの人も生まれた事こそが幸せと実感出来る世の中になるように、私たちの意識から変えていかなければならないのかもしれませんね。

2002.6.5 14:41 9

みゅく(27歳)

たまさん、こんにちわ。とてもよく分かります。自分の子が障害をもって生まれてきたら・・・。誰でも一度は考えるでしょうね。私が妊娠前に勤めていた職場が身障者に関わる仕事だったので、私が妊娠したときに後輩が「おなかの子に障害があるって分かったら、どうする?」って聞いてきました。私は「もちろん、障害があっても生むし、覚悟はできてるよ」って言ったけど、内心は複雑でした。障害のある子供を育てる苦労は、その立場にならないと分かりませんよね?簡単に私達が答えの出せるものではないでしょうね。

ただ私自身の考えとして、妊娠中の障害の有無を調べる検査って本当に必要なのかなって思います。これは、ぜったい賛否両論あることだと思うので、私の考えに反対の人もたくさんいると思います。
障害の持っていることが分かったら、堕胎するのって、イコール人間として認めていない?って感じてしまうのです。もちろん、障害があれば、その子を育てる上で精神的にも肉体的にも、そして経済的にもめちゃめちゃ大変で現実的に「育てられない環境」の人もいるのかもしれません。でも、でも、それでもやっぱり、一つの命を殺してしまうことという事実はかわりませんよね。
障害があっても、やっぱり我が子はかわいい。そうあってほしいです。子供の障害を受け入れるまでって、きっと本当に大変かもしれません。でも同じ人間だし、そういう障害児だからこそ生み出せるチカラってあるはず!(五体不満足のオトタケさんのように)
妊娠中の障害の有無を調べる検査があること自体、とても障害者に対して差別・偏見だと思うんです。結局、障害者が生きる可能性が、親次第みたいで。
障害があるって分かったら、誰でも動揺しますよね。特に妊娠中の繊細な時に知って、果たしてどれくらいの人が「産む決意」ができるのかなぁ?疑問です。

できれば、障害のある人が肩身の狭い思いをしないでのびのびと生活できる社会であってほしいです。身体的な不自由があっても、精神的には自由でいたいじゃないですか。自分の子供には、そんな社会で生きてほしいし、障害のある子供と友達になれる環境をつくってあげれたら、素敵だなって思ってます。
なんだか、私もとても答えは見出せませんが、とりあえず、たまさんの考えていること、よく分かりますって言いたくて・・。

PS・気をつけてコメントしたつもりですが、不適切な言葉があったら申し訳ございません。

2002.6.5 15:54 13

にゃん子(秘密)

たまさん、こんにちは。私は今、妊娠13週です。お腹の子が約30%の確率でダウン症などの染色体異常の子かもしれないと言われています。
私はさんざん、迷った結果、羊水検査を受けることにしました。
言い訳かもしれませんが、私は自己免疫疾患を患っており、どうしても育てていく自信がないからです。
こんな私は自分勝手かもしれません。でも、出産により病気が悪化する可能性も高い私には十分なことをしてあげられる自信がないのです。これから普通の健康な子でも生きにくい時代です。主人や私が死んでからのことすごく考えます。

私もいろいろ本当に考えました。泣いて、泣いて考えたんです。
流産の末、授かった子です。抱っこしてあげたい。顔をみたい。そんな気持ちでいっぱいです。羊水検査の結果がでるまで、できるだけ愛情がわかないように、妊娠していることを忘れようとしている自分が嫌にもなります。

それでまだ、答えはでていませんが、結局、障害の子と分かったとき、
どうするかは、本人とそのパートナーが決めることであり、他人がどうこういうのは理不尽なのではないかと思います。
全員が全員軽い気持ちで中絶を選ぶわけではないです。
それをすることが、その子の幸せとまでは言えませんが、産むことがその子の幸せとも言えないような気がします。

私は冷たい人間なのかもしれません。
でも、もし、「この子があなたの子供として最後に生まれてくる子です」と言われたら産むかもしれません。ほんと、自分勝手ですね。
かなり、気を悪くされる方が多いと覚悟しています。ごめんなさい。

2002.6.5 16:03 9

みん(秘密)

私は、もともと灰谷健次郎という作家が好きだったのですが、
彼のエッセイにいわゆる「障害児」の話がよくでてくるので
何度も何度も読み返しています。
そういう子供が生まれてくる可能性は誰にでもあることですから。
(私はまだ一度も妊娠したことがありません。)

私の母は何に対してもいわゆる世間一般的な発言をする人で
「障害児」に対しても「産んでも苦労が多いから」にはじまり
「親の方が先に死んでいくのにたいへんだ」とまで言う人です。
そういう人に育てられたわけですから、自然と私の中にも
「障害」を持った子供は生まれても親も子供も不幸、みたいな考えが
できていました。(おはずかしいですが)

でも、灰谷健次郎さんのエッセイを読んでいくうちに、
考え方が随分変わりました。

「障害」もひとつの個性であること、そう考えれば
人と違うだけで「障害」という言葉でくくるのはおかしいということ、
いわゆる「障害児」と「健常児」や保育士の触れ合い、
「障害」を持っている子供やその親にはみえても
そうでない子供やその親には見えないものやことがあること…

なんかこうやって書くと軽々しく、またきれいごとをいっているように
きこえるのですが(私の文才のなさ…)
実際に読んでいただければ、そんなに軽々しく発言しているわけではない
ことはわかっていただけると思います。
今さがしたら『灰谷健次郎の保育園日記』には
「障害児」についての記述がありました。
もっとあちこちで書かれていたはずだし、
また「だれも知らない」という本について触れられたエッセイもあったのですが
なぜか探すと見つからないものですね…(^^;;;
「だれも知らない」というのは「障害」を持った子供の物語です。
教科書にのったこともあるので、
若い世代の方ならご存知かもしれません。

「障害児」をもった親が苦悩するのも現実ですが、
たまさんの勤めていらした幼稚園で出会ったお母さんの発言もまた
現実です。
灰谷健次郎さんの本を読んでからは、素直にそう思えるように
なりました。

彼の本は子供について多く書かれているので
まだ子供がいない私にはとても参考になっています。
かつて同様に悩んでいたひとりとして、おしつけるわけではありませんが、
悩んでいらっしゃるなら突破口の1つくらいにはなるかもしれないと思い、
レスしました。

2002.6.5 16:03 12

七夕(32歳)

私も悩んでいます。
今までは「障害を持っていても一つの命だから・・」って思っていました。もし自分の子供が障害があっても大丈夫だ」と・・・
でも主人のいとこがダウン症で産まれてきて、その子供の成長や子育てをみているうちに「私にはここまでの覚悟がない。こんな私が子供を産んでも良いものなのか」と悩んでいます.その子は何回も手術をし,ほとんどを病院通いですごして、リハビリに通って・・周囲の親戚一同協力されてがんばっています。でも私の子供がそうだったら、周りに親戚も友達もいないこの環境では育てられないかもしれない。それにお金もかかるしきれい事ではすまされない。そんなことを考えている私は子供を産めるのか・・・
答えは出ませんよね。
正解はないとおもいます。これからも悩みつづけることになると思います。

2002.6.5 16:08 5

匿名で(30歳)

こんな書き込みをする事で、皆さんが気分を害されたらすみません。
私はまだ子供がいませんが、できれば早く授かりたいと、夫婦で願っています。
子供が欲しい。その気持ちは本当なんです。
けれども私達夫婦は、もし妊娠中に子供の障害が分かれば堕胎することを決めています。それが原因で一生子供を抱く事が出来なくなったとしても、それは私達夫婦の運命だと思い受け入れるつもりです。
子供が欲しいと思った時に二人で話し合った末、決めた事です。

子供産み育てる事は簡単な事ではないと思うのです。
私達夫婦がその障害を持った子を一生をかけて守っていく事に対して、躊躇することなく受け入れる自信はあります。
しかし現実問題、私達よりも子供の方が長く生きるのはあたりまえで、じゃあ私達夫婦が死んだ後はどうなるのか?
誰かにゆだねる? それは勝手だと思ったのです。
私達夫婦が死ぬ前に、一生を受け入れてくれる相手が見つかるかもしれない。
それはかなり難しい事だと思っています。
今の世の中、障害者が生きていく為に必要な事を完全にサポートしてくれるような制度はありません。
そんな事を考えたとき、その我が子にはとても申し訳ないけれども、私達は子供を失う、自分の身体を傷つける、そういう苦痛を一生背負って生きていく事を選びました。
そして、できる限りそのような事にならないように、確率を下げる為にも、煙草など身体に悪い物は取らないようにしています。
これが私達夫婦の考えです。

2002.6.5 16:08 6

TAD(28歳)

確かにこの問題って難しいですよね。

でもおととしに双子を流産した時に病院の先生から「この子達は受精卵が弱いから、産まれてきても障害があったり病気したりで長生きはできなかったんだよ。」

と言われた時素直に「障害があってもいいから無事に生まれてきて欲しかった。と思いました。

今でも思っています

2002.6.5 17:45 5

すみません匿名です(秘密)

難しい問題ですね。
私は36歳にして未だ第一子も授かっていません。体外受精を受けていますが、
高度生殖医療に頼ってまで我が子を望んでいても、高齢の初産であれば
めでたく懐妊しても障害児の確率はみなさんよりはるかに高いですよね。

確かに命の重みに優劣はありませんが、うちのように高齢夫婦になると、
たった一人しか産めなくて、その子が障害を持っていたら・・・と思うと
やはり怖いです。兄弟を生んであげられたら話は別かも知れません。
第二子が授かるかどうかも判らない状態では、私達夫婦が死んだら誰が
面倒をみてくれるんだろうと思ってしまうからです。

障害の度合いにもよりますが、もう10年若ければ、自信を持って
「産みます」 と言えたかも知れません。この年になると子供の将来まで
責任を持ってやれるかどうかも不安になってしまいます。

「産まない」ということに対して、一概に反論できないのは、「産む」 ことも
親の勝手になり得るからだと思うんですよね。

連日の注射で卵巣を無理やり刺激して、麻酔をかけて長い針を刺して採卵し、
その後も着床を助けるためにホルモン剤投与を続け・・・、こんなことを
し続けていると、普通に生きてても平均寿命までは生きられないんじゃ
ないかとさえ思うんですよ。(笑)
そうなると、やっと授かった子供が成人した頃には、私はボロボロ?って思うと、
障害児を産むことに関してはもっと慎重になります。

これは永遠のテーマじゃないですかね・・・。

2002.6.5 18:06 5

たまちゃん(36歳)

たまさん、そしてみなさんこんにちわ。

 みなさんのご意見拝見しました。
障害児を抱える母親として読ませていただきました。
 
 やはりこの問題には正解・不正解はないと思います。
障害を息子は先天的に腸の奇形がありました。それ自体は簡単な手術ですむ病気でした。(日木流奈くんをご存知でしょうか?彼の病気のもっともっと軽度のものだと思っていただければ・・・)
 
 ただ・・・出生直後に手術をしなければならず、免疫の少ない新生児にとっては負担が大きかったのか感染症を起こし後遺症として脳性まひとなりました。
 NICUをでてからも、手術の後が残るだけで身体的には障害が残るとは医師ですら考えてはなかったようです。発達がどうにも遅く・・・わたしが医師に相談をもちかけMRI検査をしてもらい生後4ヶ月で初めて脳性まひとわかりました。

 3歳の息子とわたしは今療育施設に毎日母子通園しています。そこにも様々な障害をもったお子さんがいます。
 ダウン症のお子さんもたくさんいますが、生後3ヶ月以上たってから障害が判明した子。交通事故の後遺症で全身麻痺となったお子さん、突然筋肉の病気が発症し歩いていた子が全く歩けなくなってしまった子もいます。
わたしも胎内ではまったく問題は発見されずに出産しました。

 障害をもつ子を育てる立場からお話させていただくと・・・やはり元気に走り回っている健康なよそのお子さんは可愛いと思うしうらやましくもありますが、やはり自分の血をわけた子供が一番可愛いです。障害を宣告されたときは、もう一緒に死ぬしかない・・・そこまで思いましたが、涙を流しながら3年が過ぎました。
 今では一緒に生きていける・・・自信をもっていえます。

 だからと言って事前に障害がわかったときに、中絶・・・という答えを出すことをわたしは非難しません。
生まれてきてくれたので、わたしもがんばって育てました。これからも育てていきます。でも、胎内で分かってしまったら・・・やはり育てる自信はなかったと思うし、どういう結論をだしたか?わかりません。

 わたしは二人目を希望していますが・・・やはりできたら健常の子供が欲しいです。二人も障害児を育てる自信はありません。
 きっとまたそういう子を産んだとしたら育てるんでしょうけど。

内容がめちゃくちゃになってきてごめんなさい。
ただ・・・この問題は人それぞれの考え方があるので、結論は他人からは出せない・・・ということが言いたかったのでレスさせていただきました。
 こういった問題のスレには必ず登場させていただいてるメラニーです。

 ただ・・検査をするなら自分の考えをもって受けるべきだと思います。その答えは人それぞれでいいとおもいます。迷いがあるならやめたほうがいいのかな???と。
 健常の赤ちゃんを出産するほうが圧倒的に多いことですし。

 障害をもつ子とその家族・・・抱える問題はいろいろありますので、たいへんなことはいっぱいあります。時には辛くて泣けるときがあります。でも不幸だと思ったことはありません。

 そしてここのスレでみなさんが障害をもつことに対して偏見を持っていらっしゃらないことにとても幸せを感じました。障害があることに甘えを持ってはいけない!と言い聞かせるわたしですが・・・やはりバリアフリーが浸透していくことはたいへんわたしたちのような家族にとっては生き易いです。

 自分よがりな書き込みなのかな?と不安がありますが、読んでくださってありがとうございました。わたしは来週卵管造影してきます。ドキドキですががんばります。
 

2002.6.5 18:12 5

メラニー(35歳)

こんにちは。私も結婚前まで保育士をしていて障害のある子を見たりしてきました。保育士をしていた頃はキレイ事でしか考えられなかったし、保育の専門という意識から子供はみんな一緒なんだからと思っていました。そのご家族の苦労なども知らずに・・・実際に自分が障害のある子を授かったらどう受け止められるかは分かりません。色々な面で経済的にも大変になってくると思いますし、将来、結婚する事もなくずっと一緒に過ごしていく事もあるかもしれません。そうした時に、最後残るのは子供です。1人で生きていく事の出来ない子はどうやって生活していくのでしょう?そんな事まで考えてしまうのは飛躍しすぎかもしれませんが、私自身もそれ程強くないので、育てていく自信がありません。それでもし一生子供が授からなくても良いと思っています。残酷な考え方かもしれませんが、親が自信を持って育ててあげなかったら子供は絶対に不幸になってしまうと思うのです。ある知り合いの方の娘さんはダウン症で生まれました。生まれつき体も弱かったみたいなのですが、1才の誕生日を前にして亡くなられました。そんな話を聞いた後から色々と考え始めてこういう結論が自分の中で出ました。1人の命を授かるというのはその子の将来まで背負う事だと・・・本当に難しい問題ですが、どちらにせよ、夫婦の考え方で選択するのが1番かと思います。私もまだ子供がいないので切実な問題としてもう一度考えてみようと思います。

2002.6.5 22:22 5

ぽっぽ(31歳)

こんにちは!
実はうちの主人は聴覚障害者いわゆる「ろうあ者」と言われる障害者です。
結婚を決めた時に先ず思ったことが遺伝でした。
先天性の場合 同じ聴覚障害を持って生まれる確立が高いからです。
たまたま主人の場合は 生後3ヶ月頃の高熱が原因で 後天性だったので
安心して結婚したのです。
でもやはり初めての妊娠の時は 障害のある子供だったら・・・と
不安で不安で仕方ありませんでした。
しかし私に心強い言葉をくれたのは主人の母でした。
ダテに障害児を育てたわけじゃぁないな!!と思いました。
「例えどんな子供が産まれても 頑張って育てるんだよ!
その子は○○ちゃんに育てられる使命を持って産まれてくるんだからね!!」
それで私は腹が決まりました。本当にありがたい言葉でした。
たとえ健常児として産まれても 主人の様に途中で障害児になる場合もあるのです。その時は皆さん子供を放棄できますか?
今は二人の子供も手がかからないほど大きくなりましたが あの時の姑の言葉が今でも耳から離れません。
参考になるかどうかわかりませんが 自分の体験をレスしました。

2002.6.6 00:13 7

匿名(秘密)

この問題は本当に難しいですよね。
ある本にこんなことが書いてありました。
「羊水検査を受け、ダウン症とわかると、90%の人が中絶を希望する。」自分と関係ないときには「中絶はいけない」「障害児でもそだてる」といっていた人でも、いざ自分のことになるとほとんどの人が中絶を選ぶようです。この問題は、本当に本人になってみないと判断がつかないことだと思います。だから、他人がどちらが正しいとか間違っているとかいうべき問題ではないと思います。

私は最初の子供を38歳で出産しました。最初の子供のときは何の胎児検査もしませんでした。でも、2番目の子供を妊娠した時には(40歳で出産)、胎児検査をしました。もし、最初の子供が障害児であったなら、もう次の子供はつくらなければ私達夫婦だけの負担ですむとおもいました。でも、二番目の子供の場合、私達が先に死んでしまったら、最初の子供に障害のある弟か妹をおしつけていくことになる、と思いました。幸い、二番目の子供は何も障害がなく、元気に生まれてきてすくすくと成長しています。今となっては両方同じように大事な子供ですが、胎児検査をしたとき、もし障害があるといわれていたら中絶を選んでいたと思います。

2002.6.6 00:57 5

ライラ(40歳)

たまさん、みなさん、こんにちわ。
私も、このことで、いろいろ考えます。
私は、3年前に妊娠したときのことです。熱が出て、体内からウイルスがみつかり、悪性リンパ腫の可能性があると4ヶ月の時に診断されました。
かなりの高い熱だったので、強い抗生物質を飲まされたこと、普通の風邪薬を処方され飲んだことがあり、叔父(医師)に堕胎を進められました。
(母子ともに危険と言うこともありましたが、障害のある子が産まれる可能性が高いということもありました)
そのとき、「この子を殺さないで!」って正直思ってずいぶん泣きました。
担当の医師には、羊水検査を言われましたが、そこまで・・・と思いやめました。(リスクも考えて)
すごく悩んで、私たちが死んだ後のことを考えたのと、私自身危険なこと、
産んでも、私が死んでしまったら・・・と考えあきらめました。
5ヶ月入ったばかりで産んでみると、身長は伸びているのですが、ガリガリのやせた赤ちゃんでした。きっと、つらかったのでしょう。(心音も早かったし・・・)
おなかにいるときに、障害があるとわかったら、産みたい気持ちと反して
自信がないというのが、正直な気持ちです。
今は、妊娠すると悪性リンパ腫の数値が以上にあがり危険な体質ということで、子供はあきらめています。
この子ができるまで、なかなかできなくて毎日泣いてました。それが・・・
子供のことでは、いろいろ複雑な気持ちでいます。

でも、隣の家にダウン症の女の子がいます。
近所の人と話すと、「あの、障害者がいる家!」といわれて、とても悲しかったです。
その子は、今中学生位だと思うのですが(定かじゃなくてごめんなさい)
お母さんと話をしたときに、産まれてからわかったそうです。
お医者さんに、「小学生になるまでには歩きますよ。」と言われたのですが
小学生になっても歩けず、「あのお医者さん嘘を言った!」と泣いたそうです。「でも、今思うと、希望を与えてくれていたんだと思うんですよ。」と
話していました。
その時に、「この子には、自分ができる限り事とは何でもしてあげよう!
自分がみれなくなったら、施設に預けるしかない・・・・」と話していました。毎日、車で送り迎えをして、休日には旦那さんが後ろから支えてお散歩したりしています。
「この年まで生きてくれるとは思ってなかった・・・」と奥さんの言葉。
生きていてくれるだけで嬉しい、可能性のあることは何でもしてあげると
言う言葉に、暖かい母の気持ちと、感動してしまいました。

私は、障害があるとわかって、産むか産まないかは、夫婦の問題かな?って
気がします。それでも産みたいと思えば、上記の奥さんのようにがんばって
できると思います。自信がなければ、仕方のないことだと思います。
ただ、障害のある子に対して、偏見の目はすごく悲しいと思います。

私は、隣の奥さんにいろいろ話せて、いろいろ励まされています。
「子供がいなくても、仲良くしていれば幸せだと思いますよ。」これは、
隣の奥さんだからこそ言える言葉だと思うし、優しさを感じました。

もっと、偏見のない社会になってもらいたいと思います。

まとまりのない文章で申し訳ありません。

2002.6.6 01:08 5

奈緒(秘密)

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