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“特別養子縁組”でわが子を授かるという選択

コラム 不妊治療

“特別養子縁組”でわが子を授かるという選択

産めないとしても、子どもは育ててみたい。
そんな自分の気持ちを確信し、養子をもらうと決意。
今は、笑いが絶えない毎日が愛しいです。

2018.8.24

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不妊治療の末、養子縁組を選択したA子さん。
事前にご主人と決めていたことがありました。
それは、最初に紹介された子どもを受け入れること。
「子どもは授かりもの。選ぶというのは違う気がしたんです」


 


※2018年8月27日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.39 2018 Autumn」の記事です。


つらく苦しかった約3年の不妊治療


初夏の日差しと風が心地よいとある日、取材にうかがうとA子さん(44歳)とY男さん(42歳)とともに出迎えてくれたのがT君(2歳)。人懐っこく陽気な振る舞いで、スタッフを和ませてくれます。
A子さんは共通の知人の紹介でY男さんと出会い、1年後に結婚。当時36歳だったA子さんはすぐにでも子どもが欲しかったのですが、なかなか授かりませんでした。
「以前、住んでいた家の近所の産婦人科に検診の折、医師に基礎体温表を見せて相談したところ、大丈夫ですよと言われたのですが、やはりできなくて。何が原因なのかも知りたかったので、不妊治療専門のクリニックへ行くことにしました」
この時すでに38歳。結婚から2年経っていました。医師から「年齢的にもタイミング法の余裕はない」と言われ、最初から体外受精をすすめられました。
「結局二人とも、不妊の原因は見つかりませんでした。それはよかったのですが、そこの医師がやや威圧的で怖かったので、途中で友人がすすめてくれたクリニックに変えました」
2つのクリニックでトータル7回、体外受精にトライ。しかし、着床しても育ちません。さらにその原因を知りたくて、いくつかほかの病院へも足を運びました。ある病院では「不育症かも」と診断され、改善のため薬を飲んだ時期もあったそうです。
「そんななかで一度、自然妊娠をしました。でも、それも育たなくて。ちょうど39歳の時で、ああ、これでできないんだったら、もう無理なのかなって薄々感じてはいました」


10年20年先を見つめてやはり子どもが欲しいと


A子さんは保育士です。日々、幼く可愛い子どもたちと接しながら「いつかは自分の子どもを育てたいな」と思うことも多かっただけに「なぜ、私にはできないの?」という気持ちが次第に募っていったそうです。
「不妊治療中は、あんなに好きだった保育士の仕事も正直つらくなってきて。お腹の大きなお母さんを見ると気持ちが沈んだりもしました」
 とにかく気持ちの波が激しくなり、Y男さんにつらく当たってしまうこともしばしばありました。
「でも、彼はどんなに感情をぶつけても全然響かない。本当に暖簾に腕押しで(笑)。それどころか、血縁とか気にしなくていいんじゃない? 育てたいなら養子をもらうのはどう? と言い出して。私がこんなに頑張っているのになぜそんなことを言うの? どうして協力してくれないのって当時は腹を立てていました」
どうしてそう言ったのか。Y男さんにうかがうと、
「もちろん、実子が欲しいというのはありました。でも不妊治療って確率との闘いみたいなところがあって、できるかどうかもわからないなか、彼女はただただ自分を消耗するばかり。これをいつまで続けなければいけないんだろうと思えてきてしまって。だから、養子という選択肢もあっていいんじゃないかと。と言いつつ、実は養子縁組の制度など全然知らなくて漠然とそう思っただけなのですが」
どんなに感情的になっても穏やかに接し続けてくれるY男さんのおかげで、次第にA子さんも冷静さを取り戻し、現実を見つめるようになっていきました。
「主人のおかげもありますが、私自身、40歳を過ぎたのも大きかった。子どもが欲しいと強く願う一方、40歳を超えたあたりから、さすがにこれ以上、不妊治療を続けていくのは金銭的にも精神的にもしんどいなと。それでもう産むのは諦めたほうがいいかなって」
A子さん夫婦は不妊治療期間中、子どもがいる前提で新居を建て、そこですでに暮らしていました。私たちが訪ねたのもその新居でした。
「ある日、このリビングに一人座って将来のことを考えたんです。10年20年先もずっと二人?いやいやもっと賑やかに暮らしたかったなって」
 産むことは諦めても育てることまで諦めたくない――。そう思った瞬間、A子さんは「よし、養子をもらおう」と決めました。


里親研修を経てT君と出会い、親子に


「彼女が決断してからの展開は早かったですよ」とY男さんは振り返ります。
「二人で話し合ったのが2年前の6月末。都の児童相談所に連絡を取ったのが7月上旬。すぐに里親研修を数日間受講し、家庭の状況の審査も受けて9月には里親の認定を受けました」
そして、比較的早い段階で生後6カ月のT君を児童相談所から電話で紹介され、すぐにエントリーし、そのまま里親になることが決まりました。
「事前に夫婦二人で、最初に紹介された子を受け入れようと決めていたんです。実子でも女の子か男の子かは自分たちで決められないし、どういう状態で生まれてくるかもわからないじゃないですか。要は実子でも養子でも大事なのは縁なんです。だから、この子がいいって自分たちが選ぶのは何か違うよねって話してたんです」
T君が生後8カ月の頃から3カ月間、週3回、乳児院へ面会に行きました。「最初は正直、保育士として子どもに接している感覚でした」というA子さん。本当の意味で愛情を抱き始めたのは11カ月目で自宅に引き取り、一緒に住み始めてからでした。
「Tはミルクの要求の泣き方がすごいとか、一緒にいるといろいろわかってくるんです。日々一緒に暮らしていると、親子の愛情ってどんどん育っていくものなんですね」
1年が経ち、今ではすっかりT君中心の生活。常に笑いが絶えなくて楽しいとA子さんは実感しています。
「Tのことを考えているのが楽しいし、これからどう成長していくかと考えるだけでワクワクしてきます」
そんなA子さんをY男さんも優しく見守っています。
「Tは彼女の口真似が上手。なんかひょうきんな性格で僕らをいつも笑わせてくれるんです。僕はすごく甘い父親ですね。何でも許してしまうのでよく彼女に叱られます(笑)」


親子の絆は日々の生活のなかで紡いでいく


特別養子縁組の場合、半年の試験養育期間を経て家庭裁判所へ申し立てをし、実親・里親双方の調査後、特別養子縁組の審判が確定されます。A子さんたちは今年4月、正式に戸籍上でも親子となりました。
「うれしかったですね。ただ、養子だということは小さいうちから、理解できる言葉で伝えていこうと思っています。急に知ったり、ほかの人から聞いたりすると余計に傷つくと思うので」(Y男さん)
この1年ちょっとの間だけでもA子さん夫婦がどれほど愛情を注いできたかは、所狭しと棚に飾られている写真の数々を見るだけでも十分伝わってきます。
「Tには自立した子に育ってほしい。だから、親の背中を見せたり、励ましたり、時には厳しく接したりしながら、母親として惜しみない愛情を注いでいきたいと思います」(A子さん)


 



出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.39 2018 Autumn
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