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支え合いながら、未来を信じて前へ

コラム 不妊治療

支え合いながら、未来を信じて前へ

支え合いながら、未来を信じて前へ

2015.6.12

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結婚以来19年間、不妊治療と不育治療を続けることりmama*さんとご主人のオット君。体力的にも精神的にもつらいことが多い治療に諦めかけたこともありましたが、お互いを思いやる気持ちと担当医のサポートで、二人は前に進み続けていきます。


夫の理解と協力が
長期間の治療の支えに


排卵誘発剤の副作用や採卵の痛みに耐え、妊娠後は流産を防ぐためにヘパリンの自己注射とアスピリンを服用して絶対安静。19年間という長い間、不妊治療、不育治療をしていることりmama*さんには、体力的にも精神的にも、つらいことや我慢の必要なことを乗り越えていく日々が現在も続いています。これほど長い期間、治療を諦めることなく続けてこられたのはなぜなのでしょう。その問いに、ことりmama*さんは「一緒に頑張ろうという気持ちを、二人とも持っているから。そして、私がつらい時、夫が家事などの具体的なサポートをしてくれることも大きいです」と明るく答えます。「たとえば、排卵誘発剤の副作用が、私の場合はとても強く出るんです。動悸やめまい、吐き気が一週間毎日続きます。そんな時期は、洗濯をするのもつらいんです。干す動作でめまいがしたり...。以前は泣きながらやっていましたが、最近は彼が洗濯担当になってくれています」その他の家事も積極的にしてくれるというオット君ですが、治療を始めた頃は、ここまで協力的ではなかったとか。「彼女が治療を頑張っているのはわかっていましたが、僕も最初のうちは、その大変さを全部は理解していなかったんです。『奥さんなんだから家事くらいやって当たり前でしょ?』なんて思っていた部分もあったし、『どうしてオレがやらなくちゃいけないの?』と思っていた時期もありました」(オット君)それが変わったのは、ことりmama*さんが、心の内をすべて話してくれるようになったことがきっかけでした。「自分一人で我慢して、『こんなに頑張っているのに、わかってくれない!』と気持ちを爆発させるよりも、治療内容や副作用について細かなことまですべて話すことで、自分の状態をわかってもらうほうがいいと思って」(ことりmama*さん)ことりmama*さんが、今どんな治療でどんな薬を使っているのか、医師とはどんな話をしたのか、自分はどんな精神状態なのかを、細かに伝えたのだそう。「つらい時にはつらいと言ってくれたし、どうしてもらえたらラクなのかを素直に話してくれたので、僕も変われたんです。彼女のつらさと頑張っている気持ちが伝わったので、それなら家事は僕がやろうと思えました。彼女が話してくれていなかったら、ここまで協力的ではなかったかもしれません」(オット君)


顕微授精を見送った後予想外の妊娠陽性


ことりmama*さんにとって、不妊治療と不育治療は時間との闘いでもあります。「一般的にはまだ治療を頑張れる年齢だと思うんです。でも、私の場合は持病があるため、実年齢よりも3~4歳上の気持ちで治療に臨んでいます。ですから、そろそろ妊娠・出産できるかどうかの最終段階に来ていると思っています」そんなことりmama*さんにとって、妊娠に向けての周期は、毎回とても貴重なものです。2011年の夏。排卵誘発剤を4回自己注射し、診察を受けた時のことでした。卵巣の反応が悪く卵膜も硬いこと、顕微授精をしようにも卵子の状態がよくないことから、今回は見送ろうということに。「長い間、不妊治療を続けてきたので、体が悲鳴をあげているんだろうな。少し休憩かな、と思いました」ところがその後、夏の暑さで体調を崩してしまいダウン。生理も遅れていたため、「生理不順が進んでいるのかも」と落ち込みながら診察を受けに行くと、なんと妊娠陽性が出たのです。「最初は先生が何をおっしゃっているのかわかりませんでした。それくらい予想外でした」思ってもみなかった妊娠でした。しかし、ことりmama*さんの場合、妊娠がわかったからといって安心はできません。「それまで連続9回の流産をしていましたから、不安と恐怖で押しつぶされそうでした。でも、やるしかない。今ここにある命を信じて、頑張るしかないと思いました。10回目の奇跡が起こるかもしれないから」ことりmama*さんは、すぐにヘパリンの自己注射とアスピリンの服用を開始。ヘパリンは、赤ちゃんとことりmama*さんの命綱。1日2回の注射をし、自宅でできるかぎり絶対安静に過ごす日々が始まりました。


絶対安静の日々...そして、4カ月検診


妊娠陽性反応が出てから1週間後には、クリニックで10.7mmの胎嚢を確認。「この段階でも、自分が妊婦になったんだという実感はまだありませんでした。自信がないのと、流産への恐怖で、先のことを考えられないでいたんです」ことりmama*さんには「安定期」はありません。妊娠が継続したとしても、ヘパリンの注射を打ち続け、アスピリン、ホルモン剤、漢方薬を服用。そして家事も一切できない、徹底した絶対安静が出産まで続きます。妊娠した喜びを感じる余裕はなく、流産の不安と毎週の検診結果への恐怖に耐えながらの日々です。「今の医療でできるすべてのことをさせてもらいながら、お腹にいる『この命』を信じて、成長を祈ることしかないんです」そして10月。受診した4カ月検診で、ことりmama*さんは、赤ちゃんが元気に動いていることにほっとします。ところが、「よかった」と安心したのも束の間、ことりmama*さんは、先生の様子がいつもと違うことに気が付きます。「先生が何もおっしゃらずに、いつもよりずっと長い時間をかけて、真剣な顔で赤ちゃんを見ているんです...。ものすごく大きな不安が押し寄せてきました」先生からことりmama*さんに告げられたのは、赤ちゃんの頭と体にリ
ンパ浮腫が見えること。染色体異常で、どんなに頑張ってもお腹の中でいずれ死んでしまうことでした。「もしも、生まれてこられたとしても、母親の胎内から出た瞬間に死んでしまうんだよ。残念だけど...」と先生から告げられました。赤ちゃんは元気に動いているのに、生きようと頑張っているのに。どんなことでもするから助けてほしい。必死にそうくり返すことりmama*さんに、先生が提案したのは、赤ちゃんが大きくなってもっと苦しくなる前に産んであげることでした。
「赤ちゃん、楽にしてあげよう」先生の言葉に、思わず腕にしがみつき崩れ落ちたことりmama*さん。先生は、ことりmama*さんが腕を離すまで、ずっとそのままでいてくれました。19年間の不妊治療・不育治療のなかで一番つらい出来事だったと、ことりmama*さんは振り返ります。心の準備もできないままに、お腹の中で生きている赤ちゃんを諦めなければならなくなったのです――。 (つづく)





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