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着床不全の診断や子宮外妊娠を乗り越えて 「納得いくまでほかを探そう」 あの日の夫の言葉がなかったら この子は、ここにいなかった—。

コラム 不妊治療

着床不全の診断や子宮外妊娠を乗り越えて 「納得いくまでほかを探そう」 あの日の夫の言葉がなかったら この子は、ここにいなかった—。

2018.2.19

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はじめは「病院に行ってまで子どもが必要かな?」と


不妊治療に乗り気でなかったご主人。


けれども徐々に、同じ方向に、同じ歩調で歩き始め


4年をかけて待望の我が子を授かった夫婦のストーリーです。


当初の気がかりはご主人との気持ちの温度差


結婚後、子どもが欲しいなと考え出してから2年ほどしても妊娠に至らなかったというクミコさん(仮名)。ちょっと診てもらおうかな? と、まずは近所の総合病院の婦人科へ足を運んだそうです。多忙な専門職だったことから時間のやりくりが難しく、一通りの検査を受け終わった時点ですでに半年が経過。ようやく、卵管が両方とも詰まりぎみであるため、自然妊娠は難しい状況であることがわかりました。
結果を受けてクミコさんはご主人に「専門の病院に通ったほうがいいのかな」と相談。ですが返ってきたのは「そこまでしなくてもいいんじゃない? 無理してまで頑張る必要はないよ」というのんびりとした返事でした。そしてそのまま1年ほどが経過。「このままじゃいつまでも子どもができない」と一念発起したクミコさんは、夫婦を対象とした不妊治療の説明会にご主人を誘ってみました。
説明会をきっかけにご主人も検査を受けてみたところ、精子の状態が良くないことが判明。自分にも原因があるということにショックを受けた様子のご主人でしたが、それでも積極的に治療をしようという気持ちには至りませんでした。
「私は気になってネットで調べたりしていたので、主人とは知識の量も、焦燥感も段違いでした。当初は、夫婦間のそうした認識の隔たりが課題でしたね」


私は普通じゃないんだ…4年間で一番つらかった日


そのまま説明会を主催したクリニックに通い始めたクミコさん。まず、卵管の癒着を剥がす手術を受けました。
「夫婦ともに子どもができにくい体質なので、手術しても自然妊娠は難しいだろうという説明は受けていました。それを承知であえて受けようと決めたのは、入院・手術という一大事を通して、主人の気持ちをもっと動かしたいという思いからでした」
クミコさんの期待通り、ご主人の心境は徐々に変わり、少しずつ協力的になっていったそうです。
次の段階では、精子の状態から判断して人工授精ではなく一気に体外受精を試みることになりました。一度目の移植の結果は化学流産、二度目は子宮外妊娠。子宮外妊娠はクリニックが休みになる年末年始の時期と重なったこともあり、クミコさんはいっそう不安でつらい時間を過ごさねばなりませんでした。そして三度目に卵を戻した際には、着床も見られないという結果に。「着床不全」という診断が下り、先が見えない思いに心がしぼみました。
ですが唯一の救いは、つらい経験を通してご主人の気持ちがしっかりとクミコさんに追いついてきたこと。この頃には二人は同じ熱量で、積極的に不妊治療に向かい合うようになっていたそうです。
そしてクミコさんが一人でクリニックを訪れたある日、今後の方針を話し合うなかで、いったん子宮を休ませるためのホルモン剤の服用を提案されます。服用する期間は未定との説明でした。とはいえ一般的にはどのくらいの期間が必要となるのか、目安が知りたかったクミコさんは「普通はどのくらい飲み続けるものなんですか?」と尋ねました。その問いに対して、医師は「普通は、もうすでに妊娠して、うちの病院から卒業してるんですよ」と…。
もしかしたら、叱咤激励のつもりで、あえて答えになっていない厳しい言葉を投げかけたのかもしれません。けれどその答えにクミコさんは「私は普通じゃないんだ」と頭が真っ白になり、言葉も出ないほどの大きな衝撃を受けました。
その夜、ご主人に病院でのことを報告すると、ご主人は「クミコは今の病院のやり方では納得できないんじゃない? 納得できるところに出会うまで、二人でほかの病院も回ろうよ」と背中を押してくれたそう。そうして夫妻は、より自分たちに合うクリニック探しを始めたのです。


ターニングポイントは納得できる医師との出会い


いくつかほかの不妊治療専門のクリニックに当たってみたなかで、二人が転院を決めたのは「古賀文敏ウイメンズクリニック」でした。決め手は、あまり期待せずに送った質問メールに、古賀先生自身から真摯な返事が送られてきたこと。それに、転院枠があり最短の2カ月待ちで受診することができたこと、の二点です。
実際に会った古賀先生に、前の病院で着床不全といわれましたが…と相談すると、「僕はそうは思わない。妊娠する可能性は十分にあると思います!」と、励ましてくれました。
よし、頑張ろうという気持ちで迎えた転院後初の移植では、胎嚢が見えたものの流産に。クミコさんは、その時にクリニックの看護師が一緒に涙を流して悲しんでくれたことを、ありがたく思い出します。「もし古賀先生のところでもうまくいかなかったら、その時は納得して不妊治療を諦められるな」という心境にまで至ったそうです。
そして、次の移植にチャレンジ。またうまくいかないかも…という心配を打ち明けると、古賀先生は「もう一度同じ治療をする意味は十分にあると思うよ」と、請けあってくれました。心穏やかに挑めたそのタイミングで、二人は、元気な赤ちゃんを授かることができたのです。


今振り返ってみると、悪いことだけじゃなかった


こうして、望んでいた形で不妊治療を終えたクミコさん。思い返すと、お仕事と治療とを両立した日々は過酷なものだったそうです。
「急に次の日また病院に行かなければならなくなって、詰め込んでいた予定を調整しなければいけなくなることもたびたび。お腹が痛くて冷や汗をかきながら仕事に行ったこともあります」
ですが仕事のスケジュールを優先していたら、不妊治療は停滞してしまいます。
「途中から割り切って、優先順位を変えるようにしました。直属の上司が理解のある方だったことに、ずいぶん助けられました」
そしてやはり、治療をしながらも仕事を続けてきて良かったという気持ちがあるそうです。
「不妊治療だけに専念していたら、私の場合抱え込みすぎてもっとつらい思いをしたと思います」
不妊治療の大変さは、経験した人でないとわからないもの。ですが、自分にとって悪いことだけではなかったとクミコさんは振り返ります。
「自分が体験した分、誰しもそれぞれにつらいことがあると思いを巡らすことができるようになりました。私なりに、不妊治療を頑張っている後輩の相談に乗ることができるのも、いいことなのかなと。
不妊治療の最中には、なんで自分だけ…と塞ぎ込むこともあると思います。周囲の声にショックを受けることも多かったり。私もそうでした。でも、一人ぼっちじゃないです!たくさんの方が頑張っています。それに、不妊治療専門のクリニックは、方針もやり方もそれぞれ。一つのクリニックで無理だったからと諦めず、相性のいい先生を探してみることをおすすめします」



 


出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.37 2018 Spring
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