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夫の子どもを産み育てたい早発閉経に苦しむ日々を 前向きに乗り越え、卵子提供でつかんだ幸せ。

コラム 不妊治療

夫の子どもを産み育てたい早発閉経に苦しむ日々を 前向きに乗り越え、卵子提供でつかんだ幸せ。

不妊治療を始めてすぐ早発閉経が判明。卵子提供の選択に迷うなか、夫からの「生まれてきたら我が子」という言葉に背中を押され台湾のクリニックを訪問。その1年後、念願の母になることができました。

2018.8.28

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不妊治療を始めてすぐ早発閉経が判明。卵子提供の選択に迷うなか、夫からの「生まれてきたら我が子」という言葉に背中を押され台湾のクリニックを訪問。その1年後、念願の母になることができました。


 


※2018年8月27日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.39 2018 Autumn」の記事です。


26歳で早発閉経が発覚クリニックに通う日々


高校生の時に、生理が止まってしまい、薬で生理を起こしていたというさやさん(仮名)。医師から「いずれは不妊治療をしなければならない」と言われながらも、実感のないまま学生時代を過ごしました。不妊治療を意識したのは、26歳で結婚してからのことです。地元のクリニックを訪れたさやさんは、そこで初めて自分の体に起こっていたことを知ります。
「AMHの値が出ず、計測不能だと言われました。つまり私の体には卵子が一つも残っていないということ。早発閉経だと診断されました」
 不安にかられながら地元の大学病院でセカンドオピニオンを受けましたが、結果は同じ。地方では同様の患者は少ないため、東京にある早発閉経専門のクリニックに通うことになりました。飛行機と電車を乗りついでクリニックに通い、排卵誘発をし続けましたが期待する結果はなかなか出ませんでした。通院のストレスもあいまって心が折れそうになったことも。
「後悔はしたくなかったんです。だから、できることは全部やり尽くしたいという気持ちで頑張りました」


ご主人の前向きな言葉で決めた卵子提供


決して受け身にならず、自分から情報を集めて勉強する過程で、卵子提供のことを知ります。通っていたクリニックでも早発閉経で悩む人が多いことから卵子提供を選択する人は珍しくありませんでした。地元の大学病院の医師に相談したところ、反対する人もいましたが、賛成する人も。何より、一番にさやさんの背中を押してくれたのがご主人からの「生まれてきたら、俺たちの子じゃないか」という言葉でした。
「それまで私は、倫理に反したことをしようとしているかもしれない、と思っていましたが、夫の楽観的な言葉を聞いて一気に肩の力が抜けちゃったんです」
卵子提供を依頼する候補として、アメリカ、台湾、マレーシアなどの選択肢がありました。そのなかで、渡航時間が短く、予算も比較的安く済む台湾を選択。過去に夫婦で訪れたことがあり、よい印象を受けていたのもポイントでした。数あるクリニックのなかでも、日本語が通じることと、最新設備が揃っていることから、まずコウノトリ生殖医療センターへ問い合わせたさやさん。突然メールを送ったのにもかかわらず、丁寧な返事があったことで、安心して訪問を決めたそうです。


確かな医療技術とホスピタリティに安心


初めて問い合わせをしてから2カ月後、台湾を訪れたさやさん夫婦は、施設のきれいさ、最新設備の素晴らしさ、そして何より、スタッフのホスピタリティと確かな医療技術に感動したそうです。
「最初にメールで問い合わせた時に対応してくれた方が最後まで担当してくれました。ほかの皆さんもすごく親切で、私たち夫婦に寄り添ってくれているのが伝わりました。そして台湾の医療レベルの高さにも驚きました。正直、技術は日本のほうが上だろうと思っていたのですが、日本で治療を受けるのと変わらず、安心してお任せすることができました」
地方から東京のクリニックに通っていたさやさんにとって、台湾に行くことは苦ではなく、しかも訪れたのは2回だけ。1回目は卵子提供に関する書類の提出と、夫の採精でした。帰宅してからもメールでのやりとりが続きました。一番ナイーヴになりやすいのが卵子提供をしてくれるドナーの選定。少しでも自分に似ていたほうがいいと思ったさやさんは、事前に自分の写真を何枚もメールで送付したそうです。


早産のトラブルを経て念願の母になれた


その後、ホルモン剤で調整している間に3周期が経ち、センターの担当者からドナーが決定したことの連絡が。何かあればその都度メールでの連絡があったことも安心でした。採卵の数が18個だったという連絡を受けて期待を膨らませ、体外受精をして胚盤胞が3つ育ったという写真付きのメールを見た時は、いよいよ母になれる、という実感が湧いたそうです。そうして訪れた移植の日は、さやさん一人で台湾へ。移植の翌日には、自宅に戻ることができました。
「初めての移植でしたが、私自身はあまり緊張していませんでした。胚盤胞が3つあったことで安心していたのかもしれません。また、事前に日本で不育症の検査をしていたので、移植をすればまず大丈夫という気持ちもありました」
着床は良好で無事に妊娠。それから出産までは、地元の大学病院に通うことに。
「妊娠してしまえば、それが卵子提供によるものかは関係なく、ほかの妊婦さんと同じように診てくれます。私自身も、妊娠できたことが嬉しすぎて、我が子を迎える普通の妊婦として過ごすことができました」
妊娠中はつわりを経験しながらも「つわりのつらさも含めてすべてが幸せでした」と話します。そうして無事に臨月を迎える予定が、25週目で破水してしまうというトラブルが発生。なんとか無事に分娩できる周期まで持ちこたえ、29週目に早産ながらも帝王切開で出産できました。生まれた時の体重は1000gほど。初めて見る我が子のあまりの小ささに「子犬みたい」だと驚きましたが、今ではすくすく育ち、生後半年を過ぎると6kgのどっしりと大きな赤ちゃんになりました。ご主人にそっくりの我が子を抱いてさやさんは言います。
「母になりたかったのはもちろんですが、私の遺伝子は残らなくてもやっぱり主人の子どもを育てたいという思いが強かったと思います。早発閉経という切羽詰まった状態だからこそ、迷わず卵子提供という選択をして、我が子を抱くことができました。立ち止まらずに行動していたのは、とにかく後悔したくなかったから。やりきった末に、今があるんだと思います」
幸せは待っていてもやってこない、自分でつかみ取るもの。能動的に情報を取りに行き、あらゆるクリニックの門を叩き可能性を探ってきたさやさんに、成功の秘訣を教わった気がしました。





From Doctor 治療を振り返って


「卵子提供で授かった命は紛れもなくご夫婦の子どもです」


 


さやさんは早発閉経により子宮が萎縮していたため、移植の前にホルモン補充療法による治療が必要でしたが、3カ月にわたる治療をご主人と共に乗り越え、1度目の移植でお母さんになることができました。日本から送られてきたさやさんが赤ちゃんを抱いた写真を見て、私もとても幸せな気持ちになりました。
卵子提供治療では、精子はご主人のものであり、赤ちゃんはお母さんのお腹の中で9カ月を過ごした後に誕生します。十数年にわたり卵子提供による治療をしていますが、さやさんと同様に、ご夫婦は皆様幸せそうです。ご夫婦は、初めは子どもが自分たちに似ていなかったらどうしようと心配されますが、私は生まれた子どもがご両親にまったく似ていないと感じたことはありません。
多くの赤ちゃんが当院の卵子提供治療で誕生しています。早発閉経や卵子の老化で悩んでいる方も、ご夫婦で支えあえるなら諦める必要はありません。


 






お話を伺った先生のご紹介

院長 賴 興華 先生


中華民国産婦人科専門医。台湾産婦人科医学会認定医、台湾生殖医学会認定医、中華民国内視鏡外科医学会認定医。馬偕記念病院、国立シンガポール大学、台北栄民総医医院、新竹南門病院産婦人科主任などを経て1992年に新竹東門病院(現コウノトリ生殖医療センター)を設立。不妊治療全般を取り扱い、卵子提供は台湾で治療が合法となった2007年より提供。台湾で初めての卵子バンクを設立。患者は台湾国内のみならず、2017年には海外からも1000組を超える夫婦が来院。

 



出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.39 2018 Autumn
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