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3回転院して、ようやく自分にあう先生に出会えた

コラム 不妊治療

3回転院して、ようやく自分にあう先生に出会えた

不妊治療は夫婦の共同プロジェクト。
頑張りすぎてストレスを溜めたりしないよう、気遣い合い話し合いながらトライしてきました。

2019.6.4

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子どもが欲しかったエミさんは、年齢が40歳近かったこともあり、
結婚とほぼ同時に不妊治療を開始。
冷え性を克服するため、食事改善や漢方、ヨガなど
やれることはすべてトライ。そこにはご主人の支えがありました。
ジネコもご夫婦で愛読してくれていたそうです。


※2019年5月24日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.42 2019 Summer」の記事です。


40歳目前での結婚。急いで治療スタート


約1年のお付き合いを経て結婚したのは2015年7月のこと。その時、ご主人は40歳、エミさんもまもなく40歳になるというころでした。子どもが欲しくて結婚したこともあって、婚姻届を出したその足で不妊専門クリニックへ通院し始めました。
約1年の間に10回ほど人工授精を試みましたが、まったくうまくいきませんでした。
「年齢的にも体外受精を始めたほうがいいと、先生に何度かすすめられたのですが、怖くてなかなか踏み切れませんでした。ただ、2人目の不妊治療中の友人がステップアップするというので、その言葉に刺激され、私も勇気を出して体外受精を始めました」
しかし、通院していたクリニックは低刺激周期採卵法のみ。妊娠にはいたりませんでした。そこでエミさんは2016年の後半、別のクリニックに転院します。ほぼ同時期に、勤めていた会社も辞めました。
「WEBデザインの仕事をしていたのですが、クリニックへ行くたびに半休を取らなくてはいけなくて、会社に迷惑をかけるのもつらかった。クリニックでの待ち時間も長いし、子どもがなかなかできないから焦りばかりが募って。思えば、仕事をしながら不妊治療していた時期が、精神的に一番きつかったですね」


3つ目の病院でようやく妊娠できた!


転院したクリニックでは最初から体外受精にチャレンジ。ただ、それもまたなかなかうまくいきません。採卵して先生に「100点満点」とお墨付きをもらった卵でも移植すると着床しませんでした。
そこへ通い出して約1年後、2個のグレードの高い卵が採れました。先生から「胚盤胞移植ではなく、分割胚にしましょう」と言われてそうしたら着床がうまくいき、妊娠。しかし、8週を過ぎても心拍が確認できず、結局流産してしまいます。
「ただ、実は妊娠がわかる少し前から、別のクリニックへも通い出していたので、流産をきっかけにそちらに絞って通院しました。先生のすすめもあって、そこからヘパリン注射も始めました」
3カ所目のクリニックでは4回目の採卵で4個の卵が採れて、そのうちの2個が胚盤胞になりました。そして、その1つを移植したら、ようやく妊娠しました。
「ここのクリニックは、排卵誘発が高刺激のアンダゴニスト法だったので、注射が本当につらくて。もうやりたくないって思った時にうまく卵が採れたのでホッとしたのをすごく覚えています。結局、約3年かかりました。ただ、最初のクリニックにずっと通っていたらたぶん私、妊娠できなかったと思う。先生によって全然考え方も違うし、自分との相性もあるから、うまくいかないなと思ったらすぐ病院を替えることも大切だなと思います」


ご主人の当事者意識が不妊治療の支えに


不妊専門クリニックへの通院と同時に、エミさんは後悔のないよう、やれることは何でもやろうと思い、いろいろなことにトライしています。
「まず、もともと冷え性だったので、体質改善のため、漢方を始めました。鍼もほぼ同時期でしたね。鍼は私に合っていたのか、体がポカポカしてすごくリラックスできてよかったです」
仕事を辞めてからは気持ちに余裕も出てきたため、ジムやヨガ、マッサージ、エステにも行ったそう。「妊活と称して結構いろいろ楽しんでやってました」とエミさん。
サプリも栄養解析をしてくれる先生を探し、そこへ通って処方してもらっていたそう。「そこで言われたのは、私はリーキーガット症候群で、小麦粉のアレルギーがあるから、グルテンが腸壁を傷つけている。だから、よいサプリを飲んでも体に吸収されていないのではないかと。対策として食事改善をすすめられたので、小麦粉を摂取しないようにして、食事内容もずいぶん変えました。薬膳教室にも通いました」
実はこうしたことを積極的にやったほうがいいよとすすめてくれたのがご主人でした。
「そもそもの体が健康でないとせっかくの高度生殖医療も役に立たない。彼女はもともと冷え性だったので体質を整えることがすごく大切だと考えていました。そのために役立つことだったら、何でもすべてやってほしかった」(ご主人)
ご主人は、不妊治療は夫婦が力を合わせて行う共同プロジェクトだと考えていました。ゆえに自身もサプリを飲んだり、ジムで運動したりして常に万全な体調管理を心がけていたそうです。
とはいえ、大変なのも負担が大きいのも明らかに女性のエミさんのほうです。
「彼女が頑張ると言ってくれる限りは、僕も諦めないし、応援し続けると決めていました。ただ、頑張りすぎてストレスを溜めてしまったら逆効果になってしまう。彼女の心の負担になるようなことは決してしたくないと思っていました」
二人とも40歳を過ぎていたこともあり、子どもができるかどうかはわかりませんでした。「それでも少なくとも、不妊治療という、今まで経験したことのない、新しいことに挑戦したり、努力している自分たちを肯定したいという思いも強かった」と、ご主人は振り返ります。
「ダンナさんが、本当に自分のことのように不妊治療をとらえて、全面的にフォローしてくれたからこそ、私も心がくじけそうになっても頑張ろうと思えました」


不妊治療仲間も安心させてくれた


ご主人だけでなく、実はエミさんには心強い存在がいました。ともに不妊治療で苦しむお友だちです。
「何度、採卵してもうまくいかなくて、さすがに後半、ちょっと疲れてきた時があったんです。でも、44歳の友だちが妊娠したというのを聞いて、すごく希望がもつことができ、もう少し私も頑張ろうという気持ちになりました。逆に一度流産した時は、周りが結構、流産していたので、私もするかもと覚悟することができました。だから、流産してもそれほどショックではなかったんです。自分一人で抱え込んだりせずに済んだのは、こうした“妊活”仲間のお陰でもあるんです」
また、不妊治療中に引っ越しをしたり、胚盤胞が採れて移植する直前には、「妊娠したらもう旅行もできない」と思って、NYへ出かけたそう。「そんな気分転換もよかったのではと思います」とご主人。不妊治療で、自分たちの生活をがんじがらめにすることなく、時折、ほかのことを楽しんでみるのも大切なんだとエミさんに気づかされました。
取材をさせていただいたのが予定日まであと2カ月を切った頃でした。華奢な体に少し膨らんだお腹を触る姿に優しさと幸せがあふれています。
「妊娠しても不安ばかりが募って。28週の壁を越えたあたりからようやく安心できるようになりました。今は無事に生まれてくれることだけを祈っています」(エミさん)


 



出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.42 2019 Summer
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