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“思わぬ病気をしたことで妊娠・出産の奇跡を実感しました

コラム 不妊治療

“思わぬ病気をしたことで妊娠・出産の奇跡を実感しました

2016春p6

2016.3.2

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“思わぬ病気をしたことで妊娠・出産の奇跡を実感しました


2000年に開催されたシドニー五輪に出場した萩原智子さん。2004年に1度現役を引退、2006年にご結婚。2009年に現役復帰され、オリンピックの代表選考に向けて、これからという時、子宮内膜症・卵巣嚢腫(チョコレート嚢胞)と診断されました。その後手術、治療を経て、2014年11月に無事、第1子となる男の子を出産されました。決して順調ではなかった“ 妊娠に至るまで”の道のりについてお話を伺いました。



“ 不妊症 ”の言葉で頭が真っ白に



――31歳の時に病気が発覚されたのですよね。そもそもどういう症状で、受診に至ったのでしょうか。


1カ月間ずっと、頭痛、腹痛に悩まされていて・・・・・。背中や腰も痛くて、マッサージをしても良くならない。排便痛までありました。最初は、「練習しすぎで、過労かな」と思っていたのです。でも、痛さは治まらず、食事すらままならなくなったんです。とにかくつらくて、つらくて、最後にはとうとう動けなくなってしまったくらいで・・・・・。
やっとの思いで、当時練習をしていた山梨県の内科に駆け込んだところ、婦人科の受診を勧められました。そして婦人科で最初に「卵巣に腫瘍があるね」といわれ、頭が真っ白になってしまいました。先生から説明を受けたけれど、正直よく覚えていないんです。「妊娠を希望しますか?」とか「早く治療したほうがいい」といわれたんですよね、確か。すぐ夫に電話。「卵巣の病気だっていわれた」と、車の中で号泣してしまいました。


――それまで、自覚症状はあったんでしょうか?


高校生の頃から生理痛はひどいほうだったんです。でも、誰に聞いても“生理痛はあって当たり前”といわれるし、“つらいけどしょうがないもの”と捉えていました。ずっと、鎮痛剤を飲んで、なんとかしのいできたという感じでしょうか。それに10代の私にとって、婦人科はなんとなくハードルが高くて、恥ずかしいイメージがあり、婦人科を受診するなんて、考えたこともありませんでした。右肩上がりに、どんどん
痛くなってきたにもかかわらず、です。今はそのことを後悔しています。


――ちょうど、その頃は2012年開催のロンドンオリンピックに向けて、現役復帰された頃で、復帰レースとなった新潟の国体では大会新記録で優勝。まさに順風に思えた頃ですよね。病気が発覚してからは、水泳に対してはどう考えられていたのでしょうか?


正直、「水泳なんてしている場合じゃない」と。ずっと子どもの頃から打ち込んでいた水泳のことも頭から抜けてしまうくらい、病気のことがショックでした。オリンピックも出産も諦めないといけないのかと、呆然自失となってしまったんです。



信頼できる医師と出会い、前向きに治療に専念



――それから、治療が始まるわけですが、当初、信頼できるドクターに出会えるまでが大変だったとか。


セカンドオピニオンを受けるつもりで、3軒婦人科をまわりました。「なんで、こんなになるまでほうっておいたの!」、「あなたは不妊症なんだから」とか、厳しいことをたくさんいわれました。正直つらかったです。「ああ、自分は不妊症なんだ」と落ち込んで、生活も荒れに荒れました。この頃が一番精神的にはキツかったかもしれませんね。家に閉じこもりきりで、お風呂に入ることすら嫌になったり。見かねた友人が外へ連れ出してくれたこともありました。
その頃、夫は、どこかにいいドクターがいないか探してくれていたんです。夫が「納得してないんでしょ。だったらもう少しほかの先生に聞いてみようよ」と励ましてくれたことは大きいですね。


――最後に出会った医師からは、どういう説明を受けたんでしょうか?


夫の知り合いに紹介された先生は、「誰が不妊症っていったの?
確かに治療せずにいれば不妊症になる可能性は高くなるけれど、治療をちゃんとすれば、そんなことないんだよ」といって絵を描いて説明してくれました。いい先生に出会えて、本当に安心しました。ドクターも人間なので、相性はあると思うんです。つらいけれど、自分の体のことを任せられる先生に出会うまで、諦めないことは大切だと思いました。


――どのような治療をされ、現在はどういった状況なのでしょうか?


腹腔鏡手術で3つの穴を開けました。私の場合は癒着がひどかったので、下腹部も4cm切開しました。入院自体は1週間ぐらいだったでしょうか。月経によるお腹の痛みはウソのようになくなりました。手術に至らず薬物療法だけの方もいるそうです。ただ、完治するわけではない病気なので、定期的な検診がマストです。



手術後3年以内に
自然妊娠を目指す



――手術後、妊娠するまでの経緯を教えていただけますか。


手術後は、主人の後押しもあり、オリンピック代表選手選考会へ向けて練習を再開。手術前の練習量に戻るまでには時間がかかりましたが、先生が冗談で「手術で重りを取ったから、もっと早く泳げるよ」って笑ってくれたんです。ホッとしました。手術のちょうど1年後、決勝のレースに臨みました。残念ながら代表は逃しましたが、諦めないで挑戦して良かったと思っています。
また、妊娠に関しては、先生から「手術で卵巣も子宮もキレイにしたので、妊娠も3年以内に考えたほうがいい。チャンスはかなりあるよ」といわれました。そうした“期限”を設けられることで、それが目標設定になっていたのは、アスリートの性でしょうかね(笑)。まず
は自然妊娠を目指して、基礎体温をつけ、妊娠しやすい、冷やさない体づくりを心がけました。具体的には、入浴時間は30分以上、冷たいものは飲まず常温のものを飲み、料理には体を冷やす白いお砂糖ではなく、とうきびや三温糖、ハチミツを使うなどですね。選手時代にお世話になった栄養士の方に、妊娠に向けていろいろアドバイスをもらうこともありました。


――具体的な不妊治療は考えたことはなかったんでしょうか。


もちろん考えました。手術後2年たっても、なかなか妊娠には至らなかったので、一度、体外受精で有名な不妊治療専門クリニックを受診したんです。そこで、説明を受け、夫婦で話し合った結果、「じゃあ夏までに自然妊娠に至らなかったら、次のステップに移ろう」って。これまた、目標設定をしたわけです。もちろん不妊治療をすることになった場合は、「ここまでやったら諦める」という終わりも決めるつもりでした。不妊治療をしている友人たちも多く、長い不妊治療は、心身ともに大変になると覚悟していましたから。
いろいろ話し合っている時に、夫が、「今までも夫婦二人で楽しかった。もしもだよ、もしも、努力しても子どもを授からなかったとしても、いっぱい旅行したり、オイシイものを食べたり、きっと二人でも毎日楽しく過ごせるはずだよ」といってくれたんです。その言葉で、すっと気持ちが軽くなりました。


――お話を伺っていると、ご主人の存在にいつも大きく助けられているのがよくわかります。


ええ、私の母もスーパーポジティブですが、さらに夫はそれを上回るウルトラポジティブの塊なんです。常に前向き。そうした彼にいつも助けられています。普段は私のほうがかなり強いんですけどね。彼が8歳年上だからでしょうか、私のまとまらない想いも考えも、受け止めてくれている気がします。もちろん、彼も頑固なところもあって、ケンカもしますよ。



待望の妊娠判明。喜びよりも驚きが先に



――最初に妊娠に気づいた時の感想は?


不妊治療になるのかなと思っていた矢先の自然妊娠だったので、うれしいというより、とっても驚きました。本当に奇跡。子どもの頃は、結婚して、子どもを産むって当たり前のことだと思っていましたが、妊娠に至るまでの道のりは決して簡単ではないんですよね。


――妊娠や出産の経過は順調だったんでしょうか?


一度、血液検査の血糖値でひっかかり、食生活の見直しをしました。それ以外は順調だったと思います。出産予定日までギリギリ働いていたくらいですから。予定日を過ぎてしまい、羊水が減ってきたので入院したその日の夜に、陣痛が始まったんです。「子宮口も開いていますので、このままいきましょう」ということになり、出産に。陣痛が始まって10時間弱と、初産のわりには早かったのですが、それでも陣痛が
どんどんきているのに力めないのはキツかったですね。



婦人科受診の重要性を訴えていきたい



――今回、ブログで病名を公表したのはどういった理由があったのでしょうか?


私のように月経痛がありながら、受診せずに放置して、手術が必要になるまで悪化させる人を1人でも少なくしたかったからです。婦人科って、ハードルが高いし、自分の体のことなのに、なんだか自分とは遠いものと捉えがちでしょう?
それを学ぶ、ひとつの手段は学校の保健体育の授業ですが、子どもの頃は「雨が降った時に体育の代わりの時間」みたいな印象でした。でもそうではなく、性教育を含め男女一
緒にお互いの体のことを知り、認め合い、大切に考える必要があるはず。私の場合、先生から、「痛み止めを飲まなきゃしのげないくらいの月経痛なら、それは病院に行ってみたほうがいいよ」と聞いていたら……。「20歳で献血」という言葉があるけれど、婦人科にも行ってほしい。当たり前の健康診断の一環のように、母娘一緒に婦人科を受診する流れになってほしいなと思います。決して恥ずかしいことじゃないはず。私自身、選手時代は、筋肉や腱、関節といった運動に関することだけしか興味がなかったんです。もっと体の内側にも関心を持つべきだったんだと、自戒をこめて実感しています。


――ブログで公表することで、周囲の皆さんや世の中の反応はどういったものだったのでしょうか?


ブログで公開することで、「励まされた」というメッセージをたくさんいただきました。その一方で、“実は私の母もそうだったけれど、私が生まれました”とか、“ウチの嫁もそうだったけど、無事出産しています”などの話を多く聞いて、「なんだ、特別なことじゃないんだ」と、こちらもいっぱい元気づけられました。私自身も感謝の気持ちでいっぱいです。



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出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.29 2016 spring
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